Vol.426-3/3 衆生。<ことでん駅周辺シリーズ-31: [琴平・長尾線] 瓦町駅> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.426-2/3に続けてご覧ください。

 

▼田町商店街-1

高松中央商店街の中で最も南に位置する。「田町」の名称は江戸時代末期に周りを田畑が取り囲んだ通り沿いに町が出来たことに由来する。現在のアーケードが完成したのは1987で、現在のアーケード天井部分には、県内観光地のイラストが描かれているのが特徴である。

 

▼田町商店街-2

 

▼南新町・田町・常磐町交点、南新町商店街-1

 

▼南新町商店街-2

高松の町の南限がこの辺りであった頃、南にある新しい町という意味でつけられた。高級衣料品店、ジュエリー店の他に若者向けの雑貨店にライブハウス(高松オリーブホール)もあり、他の商店街に比べ幅員が広い。

 

▼トキワ新町商店街

南新町商店街の一本東にある南北に伸びる通りで、国道11号を挟んでライオン通り商店街の南側に当たる。他の商店街に比べアーケードがなく、幅員も若干狭い。店舗の形態は瓦町駅からも近いことから、繁華街や歓楽街となっている。最も人が訪れるのは夜であり、会社帰りのサラリーマンなどで賑わう。通行する年齢層は、他の商店街に比べても高年齢層となっている。

 

▼亀井戸水(かめいどみず)神社

当社の根源となっている「亀井戸」とは江戸時代に高松城下町の水源となっていた井戸である。この井戸跡は当社敷地も含め国道11号の敷地にまで及び、平面の形は北西隅を斜めに欠いた長方形であった。その規模は南北約61.7m、東西約16.0mであったことから、池のように大規模な井戸であった。

亀井戸の名称の由来は湧き水の出る穴が甕形をしており、甕井(亀井)霊泉と呼ばれたことによる。

 

▼中央公園-1

 

▼中央公園-2

 

▼高松市美術館

 

 

<名所・旧跡(遺跡)--常磐町は、石畳の街

町名の由来は当時の事業家・溝渕寿吉(現常磐興業)が現在のトキワ街(常磐町商店街)周辺の土地を買い取り、演劇場「常磐座」(19287)や常磐映画館(194312)などを作ってこのあたりを常磐としたことによる。当時、常盤と常磐の2つの案があったが、溝渕寿吉は皿ではなく破れることのない石を使った字を主張して譲らなかった。これは常磐街に敷きつめた高松琴平電気鉄道市内線(市内電車)の敷石からも通じ、この石畳は1968(昭和43)秋に舗装道路へ変わるまで約20年間、常磐街の名物になっていた。68年まで使われた石畳は常磐稲荷(いなり)神社(菊地寛通りと常盤街アーケード間の筋の南側)で今も使われている。

 

▼常磐稲荷神社-1

常磐荷神社は、ことでん瓦町から西へいて1分、常磐町商店街と菊池通りの間の路地に鎮座する神社。神社の中にある石碑によると、生駒岐守(いこまいきのかみ)が、城下の繁のために、商家の守護神として祀ったとされています。もとはフェリー通りの西側付近に鎮座していましたが、明治42年に現在の位置に移りました。その後、火で御社殿が失したのを、昭和27年に伏見荷大社より御分受け、現在のように復されました。(広報たかまつ/2011.5.11460より)

 

▼常磐稲荷神社-2

 

▼常磐商店街-1

他の商店街と瓦町駅を結ぶ東西の通りで、「常磐街」とも呼ばれる。戦後に瓦町・常磐町地区の一部として発展した歴史を持つ。この通り沿いには邦画系の映画館と大手スーパー2店舗があったが、2004年春までには閉鎖、20086月には高松OPAも閉鎖。その影響で衰退ぶりは高松中央商店街の中でも際立っており、空き店舗は深刻な状況である。

 

▼常磐商店街-2

 

 

<見もの・聞きもの>

「南瓦町」は、バス停の上り便のみ

瓦町は、1958(昭和33)に田町、新瓦町、西瓦町、南新町、塩上町、南瓦町の各一部から新設されたが、新設前のこの地は大部分が「瓦町」を冠する一連の町の一部であった。

かつて存在した一連の瓦町のうち東瓦町、新瓦町、西瓦町の3町は江戸時代に高松城・城下町の一部となったのに対し、南瓦町のみは明治時代まで香川郡東浜村の一部であった。この時の名残は現在ではほとんど残っていないが、バス停の名称としてのみ「南瓦町」この南瓦町バス停は南方面からの上り便のみに存在(県道43号線沿い、田町バス停の東隣)し、下り便にはないが残っている。

 

 

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