Vol.316-1/2 問われるのは…。<かがわの河川と橋シリーズ-⑫:本津川と橋> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池とWalking & Potteringの風景

穏やかな宮池。

  
三越の屋上の看板、三越の屋上から丸亀街ドームの上部。

  
 
 

<どう捉え、どう考えるべきか>

経営マネジメントへの想い

13.みんなが常に見ている、問われるのは本

40年ほど前に聞いた言葉だが、至言だと思う。

小学校の時に一番威張っているのは腕力の強い奴。

中学、高校で威張っているのは勉強ができる奴。

しかし、社会に出て威張れるかどうかは、後ろを振り向いた時に何人の人が付いてきているかで決まる-----

 

時代、況によって求められるリる。

人望があれば、お神輿に担がれているだけでよい時代もあった。

 

今は自らが意思決定をし、行動するリが必要な時代である。

ただ振り返った時に部下が付いてきてくれる、というのは絶対条件であろう。

 

それを決めるのは部下、社員で、みんなが常に見ていることを忘れてはならない。

こいつは本だ。度胸があるわれば、相手も考えるということではないだろうか。

 

みんなが常に見ている、問われるのは本気度である。

 

A seasonal flower 

ウォキングコスにいていた酢漿草(かたばみ)

  
道端でしょっちゅう見かけるクローバーのような3枚葉と小さな黄色い花で、葉っぱは、雨が降ったり夜になると閉じる。花は春から夏にかけて咲く。

茎や葉には「蓚酸(しゅうさん)」というものを含んでいて、これが名前の由来か知れない。

かむとすっぱいらしく、昔は真鍮で作った仏具や鉄製の鏡をこれで磨いていたらしい。

  
 
 
 

Flower arrangement

 


今に息づく その時 あの言葉 その時 史が動いた

ああ、ここに俺の進むべき道があった! ようやく掘り当てた!        夏目 漱石

1907(明治40)325日 夏目漱石 東京帝表を提出

大学卒業後、夏目漱石は親友・正岡子規の誘いで句会に参加し創作の面白さを知る。のちに帝国大学講師となった漱石は、正岡の弟子・高浜虚子に小説の執筆を勧められ、『吾輩は猫である』を発表。翌年には『坊っちゃん』『草枕』を書き上げ、文壇に名を轟かせる。やがて、大学に残って教授になるか、作家の道を選ぶか、漱石は決断を迫られる。苦悩した漱石だったが、敷かれたレールを歩くのではなく、自分の道を自らの手で切り開きたいと決断し、大学に辞表を提出。帝国大学教授という将来を保証された地位を捨てた漱石の選択は、日本国民の文学への関心を高めることとなった。



Akijii展、再展示

今報は切り絵豊臣秀吉」です。

 

引き続き、Vol.316-2/2をご覧ください。