Vol.233-2/3 成人力とは…。<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ-02:郷照寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.233-1/3に続けてご覧ください。


四国八十八か所讃岐巡りシリーズ

02:照寺》

第七十八番 仏光山(ぶっこうざん) 郷照寺(ごうしょうじ) 広徳院(こうとくいん)


本尊:阿弥陀如来  開基:行基菩薩  宗派:時宗
真言:おん、あみりた、ていせい、からうん
御詠歌:をどりはね念佛唱ふ道場寺ひょうしをそろへ鐘を打つなり
所在地:769-0210 香川県綾歌郡宇多津町1435


<歴史・由来>

境内からは瀬戸内海にかかる瀬戸大橋の眺望が見事である。往時から港町として栄え、「四国の正面玄関」とでもいえる場所なので、高僧・名僧との由縁が深い霊場である。地元では「厄除うたづ大師」と呼ばれ、また、四国霊場で唯一「時宗」の霊場である。縁起によると、郷照寺は神亀2年、行基菩薩によって開創された。行基菩薩は55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、本尊として安置され、「仏光山・道場寺」と称した。御詠歌に「道場寺」と詠まれているのもその名残である。

その後、大同2(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、大師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」としていまも広く信仰されている。

京都・醍醐寺の開山として知られる理源大師(聖宝・832909)がこの寺に籠山し修行したのは仁寿年間(85154)とされ、また、浄土教の理論的基礎を築いた恵心僧都(源信・9421017)が霊告を受けて釈迦如来の絵を奉納し、釈迦堂を建立したのは寛和年間(98587)とされている。

さらに、仁治4(1243)には『南海流浪記』の著者である高野山の道範阿闇梨が流罪となったとき、この寺を仮寓にした。「時宗」の開祖・一遍上人(123989)は、正応元年(1288)3ヵ月ほど逗留して踊り念仏の道場を開くなど、真言・念仏の2教の法門が伝わることになり、八十八ヶ所の中で特異な霊場となる。

なお、道場寺を「郷照寺」と改めたのは、寛文4(1664)のことである。


<略縁起>

神亀2(725)行基菩薩が阿弥陀如来を刻んで本尊とし仏光山・道場寺と号し開基された。大同2(807)唐から帰国した弘法大師がこの地を訪れ、阿弥陀如来像と大師像を刻み安置し、郷照寺と改め、第七十八番札所として定められた。仁治4(1243)高野山の道範阿闍梨が讃岐に流されたとき、この寺に仮住まいしていた。正応元年(1288)一遍上人がこの地を訪れ踊り念仏の道場となり、この時に真言宗から現在の時宗に改められた。八十八ヶ所中、時宗はこの寺だけである。

境内


青野山の中腹の高台にあり、車の場合、県道から昔の町並みを思い起こすような狭い町中を通るので通行に気を付けたい。山門をくぐり駐車場の石段を上がると手入れの行き届いた松が並び本堂がある。

右手の石段を上がると大師堂があり、大師堂の横の地下に万体観音堂があり、観音像が堂内に並んでいる。

境内の庭園も手入れが行き届いている。

また、宇多津町の町並みや瀬戸内海が一望できる。


引き続き、Vol.233-3/3をご覧ください。