VOL.232-2/3 幸せのヒント…。<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ-01:長尾寺> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.232-1/3に続けてご覧ください。

四国八十八か所讃岐巡りシリーズ

四国八十八ヶ所霊場は、お大師(弘法大師・空海上人)さまが、弘仁6(815)にご開創されたと伝えられて、本年の平成26(2014)にご開創1200年の吉祥の年を迎えた。

永い年月、多くの先人が足跡をしるした、お大師さまと共に歩む「同行二人」(どうぎょうににん)の霊場である四国八十八ヶ所霊場をお遍路される方が多くなると思われます。



この機会に、小生が当ブログへ掲載した「史蹟・名所シリーズ」や「香川みどり百選シリーズ」、「かがわ遊歩くらぶシリーズ」で各地へ出向いた折に立ち寄って撮影した四国霊場・香川涅槃(ねはん)の道場6688番札所を、<四国八十八か所讃岐巡りシリーズ>と題して立ち寄った順にご紹介します。



シリーズ初回は、さぬき市の「長尾寺」です。


01:《長尾寺》

第八十七番 補陀落山(ふだらくさん) 長尾寺(ながおじ) 観音院(かんおんいん)




本尊:聖観世音菩薩 開基:行基菩薩 宗派:天台宗
真言:おん、あろりきゃ、そわか
御詠歌:あしびきの山鳥の尾の長尾寺秋の夜すがらみ名をとなえよ
所在地:769-2302 香川県さぬき市長尾西


<歴史・由来>

明治維新以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれている。開創は聖徳太子という説もありますが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊として安置。法相宗を開基した。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願された。

その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されている。

唐から戻った大師は、再びこの地を訪れ「大日経」を一石に一字ずつ書写し供養塔を設立し、その時に真言宗に改宗。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺でしたが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰した。江戸時代に藩主松平頼重が、堂塔を整備。

その時に天台宗に改めている。

<略縁起>

聖徳太子の開創と伝えられている。天平11(739)行基菩薩がこの地を訪れ楊柳(ようりゅう)で聖観世音菩薩像を刻み本尊とし、堂宇を建立して安置した。その後、弘法大師が唐に渡る前にこの地を訪れ、護摩修法を行い、人々に護摩符を授けた。

以後、正月7日に勇壮な「大会陽福奪い」(だいえようふくうばい)の行事として今日まで続いている。唐から帰国した大師は天長2(825)堂宇を建立し、第八十七番札所として定められた。
その後、兵火により堂宇を焼失、慶長年間(15961615)生駒公が再建し、天和元年(1681)には藩主松
平公が堂塔を寄進し、真言宗から天台宗に改宗した。

<境内>


仁王門の前にある2基の

(きょうどう)は国の重要文化財になっている。大きな草鞋が奉納されている仁王門をくぐると広い境内に出る。樹齢800年の楠が茂り、参道正面に本堂、右手に大師堂がある。
地元では「長尾の観音さん」と呼ばれ「大会陽福奪い」の時に大鏡餅を運ぶ力比べも行われている。
仁王像は志度浦から運ぶものがおらず、住職が祈願するとここまで歩いてきた伝説が残っている。


引き続き、Vol.232-3/3をご覧ください。