<Today's word>あれやこれ 言いたいことを文字にすれば 高ぶる心なぜかすっきりするぞぇ。
モヤモヤと心をくすぶらせることを、文字にしてみよう。そうすれば、自分の考えや志向がわかり、スッキリまとまる。また、グチも書いてみれば、気持ちがスッキリ晴れ、むしろ気にならなくなる。
心が落ち着いたら、消しゴムできれいさっぱり消してしまおう。グチや悩みは、あとに残さないことが大切だから。
<Flower arrangement>
自分だけのために生きる時とは…。
2000年前のローマ帝国のユリウス・クラウディウス朝時代(紀元前27年~紀元後68年)の政治家、哲学者、詩人であるルキウス・アンナエウス・セネカは、多忙な人に限って、生きること、すなわち良く生きることが最も稀である。
もっとお金を得るため、もっと有名になるため、もっと勢力を増やすために忙しく動き回っている人は、未来のために働いているのであって、今を生きている訳ではない。だからよく生きていないどころか、生きてもいないのだと。
そしてセネカは「閑」の中でたけ人はその本来の自分を取り戻し、よく生きることが出来ると言っている。
では、人が自分だけのために生きる時とはどういう状態であるか。
これはその人の価値観によって決ることだから一概には言えないが、釣りが好きな人は休みの日に川や海に行って一日過ごすのを、無上の楽しみとしようが、己の己に対する関係の中にあるのだから、それはそれでいいのである。しかし昔から、人が己に会うとは、全体としての自分に会うことをさして言う言葉であった。普段の外の世界を相手にしている自分ではなくて、丸ごと全部の自分に会うとは、頭の働きではなく、心の働きに属する事柄だ。多忙の中にあってはそういう心の世界へは入れない。
一人きりになって、他に気を紛らわせる何もなく、「閑」という状態に身を置くときだけ、人は全体としての自分を取り戻す。それが生きるということで、老年を人生の一番いい時だとしているのは、そこではすべての時間がまるまる自分のもので、時間を世間のために奪われないですむからとの理由からである。
つまり人は「閑」の中でのみ真に自分の人生を生きることができる。
早く閑のある生活を得よ、社会で働いているときから少しずつ軸足を社会から私生活へ、外から内へ移してゆけ、と勧めている。
今の日本では定年にならなければ時間のすべてを自分のものにすることは出来ないけれども、閑のある生活の心持ちは、40~50からでも訓練と努力次第で得られるようになる。老年に入る前に、今からその心覚えを作っておけというのはそのためである。
---あなたはいつか、社会という車を乗り捨てて、自分の足で歩きだす---そのときのくるのをねらいつつ、生きてゆくのがオモシロイ。
人は「閑」の中でしか真の幸福を得られない。
因みに、「閑」を国語辞書で引くと、「のんびりと落ち着く」「落ち着いてのどかなさま」とある。
皆さんの感想は如何ですか。小生ですか…、今の所はウ~ンとしか言えないかなぁ~。
<新居宮池とWalking & Potteringの風景>
<This flower>ウォーキングコースの畑に咲き始めた梅
白梅(はくばい)の開花時期は 1/下旬~4/上旬頃で、1月中旬から咲き出すもの、3月中旬から咲き出すものなど、さまざま。また、桜とちがって、咲き方も散り方もゆっくりである。
漢名でもある「梅」の字音の「め」が変化して「うめ」になった。中国原産で、奈良時代に持ち帰ったらしい。江戸時代には、各藩が非常食として梅干を作ることを奨励したため、梅林が全国で見られるようになった。ちなみに「梅雨(つゆ)」の名の由来は、梅の実がなる頃に雨が多いかららしい。花言葉は「厳しい美しさ、あでやかさ」、「白梅やひと日(ひ)南をあこがれぬ」石川啄木 。
蝋梅(ろうばい)の開花時期は、12月下旬~翌 3月中旬頃で、花の少ない季節に咲く、うれしい花である。とてもよい香りがする。
「”蝋細工”のような、梅に似た花」から「蝋梅」の名になったらしい。
花言葉は「先導、先見」である。
山名<とみねやま>・田園地帯のみどり<27>・里山の番号<28>
所在地<三豊市三野町>
・標高<233>M ---≫山歩き出会い<0>人・登山記帳<無>
再登山へ勝手な想い度<★☆☆☆☆>
香川県平野部には富士型の秀麗な山が多いが、その富士型を越えた山頂の尖った三角錐のピラミッド型の山も見受けられる。三野町北部にある貴峰山(223m)もその一つで、大見富士と呼ばれ三野町のシンボル的な存在となっている。ただ西側に毘沙古山(231m)が峰続きにあって、完全独立峰でないのが惜しい。
中腹には山を約一時間半で一周できる「ミニ四国八十八ヵ所巡り」をする遊歩道があり、138体のお地蔵さんを案内役に散策を楽しむことができる。ここでは町主催のイベントもたびたび行われ、様々なふれあい交流が育まれている。起点でもある貴峰庵跡に、ふるさと創生事業で建て替えられた東屋とトイレが整備されている。
JR詫間駅からマイチャリンコでの往復、往路は登り坂で手押しの連続で20分間を要し、復路はエネルギー未燃焼の猛スピード7分であった。貴峰山での歩行時間は約1時間20分だった。
引き続き、Vol.165-2/2をご覧ください。









