<Flower arrangement>
<どう捉え、どう考えるべきか>こころが乾いている。
今のこの豊かな日本の社会で、年間3万人を越える自殺者が、十数年も続いている。
ベトナム戦争を15年間やって亡くなったアメリカ人が6万4千人で、私たちは爆弾も落ちない、機関銃の弾も飛んで来ない安全な社会に生きているのに、たった2年間でベトナム戦争15年の悲惨な泥沼の戦争よりも、もっと多くの人命を自殺によって失っている。この数は広島型の原子爆弾を7年に一発ずつ落とし続けている計算になるのだ。
戦後の日本の建築工学の発展は、湿式から乾式への工法の大転換にあったと、東大の鈴木博之氏は指摘している。我々が小さい頃、家を建てている前を通りかけると、鉄板の上に砂利と砂とセメントを入れて、バケツで水をやってこねまわしていた。
壁土を練るとか漆喰をつくるとか、水を多量に使って一軒の家が建っていた。これが「湿式工法」である。それがこの60年のあいだに、コンクリートは工場でつくってくるようになり、壁土を使わないでベニヤ板にビニールの壁紙を貼るとかアルミサッシとかプラスチックとか軽金属とかガラスとかを使って、一滴の水も使わずに一軒の家が建つようになった。それを「乾式工法」という。
湿式から乾式へ大転換をしたのは、建築の現場だけでなくて、教育の現場も、医療だって、あるいは…というふうに考えていくと、まさにいま日本はあらゆる面で乾式の社会のなかに住むようになっていることに気づく。「情」なんていうのは湿式社会の典型であるが、そのような水分の存在しないところで生まれ育って大人に成ることを考えると、こころの中まで乾いてくるのは当然だと思うのだ。
ものの見方や考え方だって変わってくる。
おしぼりを例に挙げると、水分を含んでいるものは重いけれど、乾いたものは軽い。
つまり、乾式社会は軽い社会なのだ。そうした戦後の軽い社会の中で暮らすうちに、日本人のこころは乾いて、いのちが軽くなることにつながった。
困った問題にぶつかると「もうしょうがない」といって、簡単に自分の命を放り出す。あるいは他人の命を奪う。それは命が軽くなっているからであり、こころが乾いているところに、根本的な原因があるのではないか、と思うのである。
経営には技術や知識はもちろん大事だが、人間の集団だから、こころの動きが非常に大事と言えど、感情を表に出さず、すべてを論理的に割り切って考え、なるべく人間性を表に出さないように抑えて、論理的に知的に物事を処理していこうとするが、情の部分が乾き切った人…それは誰だ。
<新居宮池とWalk風景から聞こえるのは>
<This flower>小生の庭に咲くフリージア
園芸植物として人気があり、春に鮮やかな黄色の花が咲く。
アラジンという種類が有名で、オランダのバールマンさんが南アフリカで発見した。別名は「浅黄水仙(あさぎずいせん)」で、花言葉は「期待、感受性、純潔、あこがれ」である。
<香川のみどり百選シリーズ1-⑦:袋山>
・みどり<番外>
・里山の番号<番外>
所在地<鬼無・国分寺町>
・標高<262>M
---≫山歩き出会い<0>人
・登山記帳<無>
再登山へ勝手な想い度<☆☆☆☆☆>
香川県には富士型の山が見られるが、この袋山も小型ながら秀麗な形をしており、五色台の東麓に目にとまる山で、鬼無城趾である。
自宅からマイチャリンコで約10分の南側の旧11号線沿いにある衣懸(こかけ)池西側の登山口へ、往復コースの予定で登ったが、あまりにも登山道になっていなく、下山は桃太郎神社の方へのコースに変更した。
自宅往復2.5時間を要した。
山側へ急斜面をよじ登って、ウバメガシの茂る下を真直ぐにテープに導かれながら進んで行く。
踏跡は薄いので笹や木の枝を払い、テープを探しながら登って行く。
急勾配になって足元に岩塊が多くなってくる。頂上は近い。
木々に捉まり息を切らしながら登り切ると山頂に着いた。
山頂一帯は笹に覆われており、踏跡を少し北に進むと国土地理院の標識と三等三角点があった。
南端に自然石の上に石灯篭が置かれていた。
更に少し進むと大岩の上に石灯篭、その下に祠が祀られていた。
三角点まで戻って踏跡を少し西に入ると、ここにも祠があり、昭和4年の年号、甕洗祈雨と記され東を向いている。
降雨の少ない地域、麓の人々はこの山に神を祭り、慈雨を天に祈っていたのだろう。
山頂からの四方眺望は、木々に隠れて上手く写せなかった。
(北、西、東、南の順)
香川用水が引かれたり、農業が減退して竜神様に縁遠くなったとはいえ、この美しい山の登山道を整備してほしいと思いながら下山は桃太郎神社のコースに変更した。
▼下山道と眼下の高松西高校と香川誠陵高中校
▼眼下の高松市内の眺望と振り返った袋山の姿
--今報了--





























