幕間 -それは錯綜した出口のない- | 豊崎愛生と結婚への道

豊崎愛生と結婚への道

あなたの太陽のような笑顔と共に生きたい  http://www.nicovideo.jp/mylist/29130422

前回の記事を書いて一週間が経つ。
同時にそれはあの騒動から一週間が経ったことも同時に意味する。
あのとき以来、スフィアの4人のブログは事実上凍結しており、一切の更新が無い。
ぼくのFC2ブログで、あきまつりの最新記事にトラックバックをしてみたが、それも弾かれてしまう。
思うに、現在スフィアのブログすべてがトラックバックは承認制になっており(承認制というのはことばだけで、ほとぼりが冷めるまで恐らくいかなるトラバも承認されないだろう)、「荒らし行為」の防止をしているのだろう。

以前、love your live最終公演を終えた後のあきまつりの記事でトラックバックが炎上したことがあった。その内容・理由については伏せるが、それを境に愛生ちゃんのブログへの全てのトラックバックが消去され、新たにトラックバックすることも不可能となった。今、当時のあきまつりの記事を見てみたら、そのとき全てのトラックバックが消去されたのではなく、一時的に非表示にされていただけだったようだ。現在は過去のすべての記事のトラックバックが復活している。ただし、その炎上した記事である「『love your live』」へのトラックバックだけは一度全て削除され(無論ぼくのトラバも例外でない)、その後にトラックバックされたものだけが残っている。

今思い出してもあの炎上はいたたまれないものだった。
愛生ちゃんはブログを更新するものの、同時にトラックバックされないことも知っている(もちろん当時スフィアの他のメンバーのブログは通常のトラバが可能だった)。ファン補正の働いた思考なのかもしれないが、それは愛生ちゃんにとってとても辛いものだったのではないだろうか。想いは一方的で、あちら(ファンたち)からの想いは完全にシャットアウト。愛生ちゃんにとって、当時のブログ更新は「私は元気です」という自身に最大限出来るメッセージだったのではないだろうか。その心中を察すると何ともいたたまれない。
同様にファンたちも辛かったのではないだろうか。情報を受け取るだけの日々。こちらからのトラックバックでの発信は出来ない。ようやくトラバが解禁されたとき、ぼくはとにかく嬉しくて「おかえり!」という記事を書いた。そこにはトラバ解禁に対する喜びと愛生ちゃんへのねぎらいを記した。しかし不思議なことに、僕と同じような記事を書いた人は誰も居なく(僕が見た限りで)、それぞれのトラバは、まるで今まで何事もなかったかのように、それは臭いものに蓋をするように記された記事にとどまった。

少し話がそれるが、ぼくは、良いことであれ、悪いことであれ、思いついたら行動に移したり、発言せずにはいられないタチである(もちろん時と場合によりその限りではないかもしれない)。
それと関連して、君子豹変ということばが好きだ。
この意味は、「君子は過ちをすみやかに改め、善に移ることがはっきりしている。」
過ちを認めることは自分にとって不利なことであり出来れば敬遠したいところだが、その過ちを認めないことによって事態はどんどん悪化してしまうかもしれない。過ちを認めたとき非難を受けるかもしれないがそれはきっと一時のこと。もしそこで認めず事態が悪化し取り返しのつかないことになってしまったらどうするのか。それを思えば目先の利益不利益なんて顧みずに過ちを認め、誤りを正しましょう。そういった意味の四字熟語だ。
「目先の利益不利益」といった意味では「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」ということわざとも通じるものがある。あとで苦労すると分かっているなら、今片づけてしまおう。ぼくはこれらのことを胸に日々を生きているつもりである(しかしながら、夏休みの宿題はほぼ例外なくすべて最終日に泣きながらやっていた記憶がある。しつこいようだが、やはり時と場合によりその限りではないのだ)。

臭いものに蓋。
それをしたくなる気持ちは分からないでもない。しかし、ぼくはその行為は好きではない。
臭いものに蓋をする。それでいったんは問題が目に見えないところに隠れて、ぼくらはそれについて考えを巡らすことがなくなる。しかし、実際は問題自体は解決しているわけではなく、蓋の中でぶくぶくと燻っている。蓋を押しのけるくらいに膨張し、やがて外へ出てきてしまうかもしれない。それならば面倒でも、問題は小さい内に片づけてしまった方が良いのではないだろうか。

誰だって自分にふりかかる悪いことは少ない方が良い。当たり前だ。もしそれが実際にふりかかったとして目を覆いたくなる気持ちもわかる。
しかし、炎上した事実が暗い歴史だからといって、たしかにそれは経験した道であり、確実に歩んだ道である。その事実は変えられない。たしかに、それは「良くないこと」だったが、その前後には「良いこと」も含まれていたのではないだろうか(たとえばそれは、愛生ちゃんのあたたかいブログに対する、あたたかいトラックバック)。それらをまるごとすっぽり無かったことにするというのはとても悲しいことのような気がしてならない。

紆余曲折したが、ぼくが言いたかったのは、炎上の事実は確かに目を覆いたくなるものだったが、愛生ちゃん自身にも、ファンたちにもそれを受け入れた上で前へ進んでほしかったということだ。
だって、起こってしまったことは仕方がないじゃないか。我々には神の力も、タイムマシンもないのだ。ならば、それを受け入れるしかない。蓋をする行為の全てを否定するつもりはない。ときにはそれが必要なことがあるし、そうせざるを得ない状況ということもあるだろう。しかし、何でもかんでも先送りにしていてはわれわれは一向に前へと進めない。気づかない内に足に重りをつけてしまうことになる。

われわれは置いておいて、愛生ちゃんは少なからず組織の人間だ(こう言うと悪い人みたいだが、単にミュージックレインという事務所に所属している、ということを言っているだけである)。
組織の人間であれば、必ずしも個人の自由意思で動けるものではない。たとえば、上記の炎上の事実を愛生ちゃんが認めることは事務所に何らかの被害をもたらすかもしれないし、そうであればそれを認めることを事務所が愛生ちゃんに規制するかもしれない。
殊(こと)、今回の熱愛報道に関しては本人たちも事務所も慎重な対応をすることだろう。その結果、臭いものに蓋をすることもあるかもしれない。事実、騒動後初のおかえりらじお10月13日放送では一切騒動については触れられなかった。それどころか卒なく「いつも通りに」こなしていた(こなす、ということばは愛生ちゃんには不適当だということは分かっている)。スフィア全員のブログが凍結している事実があるから、本人や事務所が知らないことはたぶんないと思うが、それにしてもプロだなと客観的に思った。

あの騒動でわれわれはもやもやしている。
あれが事実であろうと、虚偽であろうと、はっきりさせることが出来ない現在の状況ではきっと愛生ちゃんももやもやしているのではないだろうか。

このままでは誰も笑顔にならないのではないだろうか。



そして、次へつづく。