見えない世界の繋がり

 

佐賀県の旅で

名護屋城跡と陣跡に行き

不思議な雲を見ているうちに

 

この場所が無ければ 

加賀百万石は無かったと浮かび…

 

調べてみました

 

雲が光り 小鳥がさえずる

 

城の中央最上段へ

 

放射状に広がる雲

自然霊に祈る気づき

 

 

名護屋城は豊臣秀吉の

朝鮮出兵の拠点となった城です。

(1592年~7年間)

 

 

 

 

当時は大坂城に次ぐ規模を誇り

諸大名の陣屋が130以上構築され

全国から20万人が集ったそうです。

 

 

前田利家の陣屋 跡地

ここでも祈る気づき

 

 

 

 

さて、本題です気づき

 

加賀藩といえば前田利家ですが

佐賀の名護屋城に在陣していた時

 

側室寿福院が 利常受胎します気づき

(利家の正室 まつの侍女だった)

 

そして寿福院が出産した場所は

中能登町の 能登部神社でした。

なぜ この場所だったのか はてなマーク

 

一時は、

式内 餘喜比古神社とも称したらしい。

 

餘喜=よき=水陸交通の要衝

右矢印石川県で日本最古の御供椀 出土! 

 

 

能登では 能登比古、鳥屋比古…等

男性豪族を 比古神として祀った。

 

能登は重要な場所であり

大和朝廷が皇子を送り込んだ。

 

"鳥屋町史"に気になる記述がある。

天皇家と能登臣のように、鳥屋比古ががんらい能登臣と同じ血筋の家であることを

思いこませることにつとめたであろう。

その手始めは結婚にあったろうと思われる。

 

こうして同じ祖先からわかれでたと考えられる大きな能登氏が生まれてくる。

地方における有力豪族には天皇から能登臣・羽咋君というような姓が与えられ、国造としての

政治的権力が認められたので氏姓制度の時代というのである。(P103)

 

いつの時代も、印象操作です。

出来事から学ぶ。

 

 

能登部神社は

石動山の伊須流岐比古神が重要

 

 

このラインの先には何がある?

右矢印石川県中能登町,光の道の謎を…② 

 

 

寿福院の出生地は 福井県越前市です。

 

 

七尾城は利家の出世城とされ

南西の金沢城へ移った

 

利家府中城 (越前市)を拠点にして

大名としての暮らしをスタートした。

 

ちなみに

利家も寿福院も 氣学で三碧木星!

南西に移動すると、情熱、直感力、カリスマ性が発揮できる。

 

佐賀はもちろん南西です。

 

 

結局、利常が加賀前田家3代となり

知略に長ける才覚で

加賀藩の安定と繁栄の為に尽力!

 

 

何かに気づいたら 調べてみよう

気づきの扉はどんどん開く時代!

 

キラキラUFOキラキラ

 

さて、はなしは変わり

佐賀の原口一博議員が

真実を語り始められました。

 

"呪詛にかけられ 肋骨を8本骨折した。

呪詛返しはしてない。

1本は肺に刺さり、危険なのでロックして救急車を呼んだ"

 

原因不明として 伏せてこられました。

今、語れるようになってきた…。

 

今後 本当のことがどんどん出ます。

 

 

前代未聞大転換期目撃!

熱くならず 冷たくもならず

常に冷静でいよう。