カラスの日 | 「観念する」日々

「観念する」日々

今更ブログ?というタイミングで人知れず始動され記述される、ありがちな言葉の連綿。きっと主に音楽の話。

12月25日(月)

馬事公苑の中を初めて歩いた。いろいろな発見があった。イヌシデ(orアカシデ)があったこと、それとは別に明確にアカシデがあったこと、大量にどんぐりの成る木があったこと(シイ系だろう)、シラカシがあったこと、など。

 

そしてその帰り道、カラスに会ってしまった。車で轢かれて息絶えたばかりのカラスにである。

その瞬間 衝撃を受け動揺してしまい自転車で一旦は通り過ぎた。これ以上関わったら自分が傷ついてしまうと思ったからだ(というか僕は、自分のリアルな空間の中で死ぬ生き物に(おそらく)人一倍敏感なので既にその時傷ついていたと思う)。あまりにショックでもはや半分パニックになりながら「見なきゃよかった...」と何度もつぶやいた。それでも そのまま通り過ぎることは結局できなかった。あのカラスがあまりにもかわいそうだった。数十秒迷った末、元来た道を引き返し、車道の歩道よりのところに血を流して事切れている大きなカラスを抱え上げて歩道に移した。野鳥に手を触れてはならないとかいうことはどこかへとんでいた。あんまり悲しくて 大声で泣いてしまった。声も涙も止まらなかった。かわいそうだった。まわりの電線にはおそらく仲間であろうカラスが何羽かいて盛んに鳴いていた。もう動かないその大きなカラスを歩道の脇にそっと置き 泣きながらへたり込んでいると、友人同士らしき二人の女性が、大丈夫ですかと声をかけてくれた。死んだカラスを前にいい歳したおっさんが道端に座り込んでビービー泣いているのだから、それは驚いたことと思う。ありがたいことに気遣ってくれる方たちだった。

 多分車に轢かれたんだと思いますと僕が言い少し会話をしたと思う。そしてそのうちの一人の方(日本語が巧みな、外国語ネイティブと思われる方だった。Aさんとする)が、動物の死骸を見つけた時の連絡先(すぐにそれは区の土木課だとわかる)を教えてくれようとした。僕は散歩をするときは携帯電話を持ち歩かないのでその時も持っておらず、すみません僕の代わりにかけてもらえますかと言ったか、言おうとしたかしたと思う。

するとその時、気がつくとその場にもう一人の女性がいた(Cさんとする)。「さっきからカラスがすごく鳴いていたので見にきたら轢かれてしまっていたので、5~6分前に区の土木課に電話しました。すぐ行きますって言っていました」とのことだった。その方はカラスのことをいくつか話してくれた。近所の公園でよくカラスがカラスをいじめていること、この子もいじめられてたのかな、そんな話だった。「私が電話したので、土木課の方が来るのを責任持って待っていますから大丈夫ですよ」と言ってくれた。僕は見届けたかったので「僕も一緒に待っていてもいいですか」「ええもちろん」。結局、はじめのお二人も合わせ四人(と一羽で)土木課の方の到着を待つ流れになった。気を遣ってだと思う、Aさんがいろいろ話しかけてくれた。「動物、好きですか?」「近所にお住まいですか?」etc.。僕は落ち着きを取り戻したり、カラスを撫でてまた悲しくなったりを繰り返していたのであまり普通には返事ができなかったような気がする。「ティッシュとか持ってますか?手が...」といわれたので僕が自分の手を見ると、手のひらにも指にもカラスの血がつき、それが乾きかけてカピカピになっていた。ティッシュはないと答えると「私の家、すぐそこなので取ってきます、ちょっと待っててください」と言ってAさんはご自宅に取りに行ってくれた。その間にも「この辺は猫も多くて、車に轢かれた猫を土木課に引き渡す電話を数度したことがあります」とCさんが話してくれた。

 

土木課の方がきた。普段着な感じだったので言われないと課の人だとはわからなかった。お一人で、ビニール袋を持ってきていた。僕がついカラスに触ってしまうので「あんまり触らない方がいいですよ」という、至極当然のアドバイスをくれた。Bさんも「鳥インフルエンザとかもありますからね」。

 

Aさんが持ってきてくださったウェットティッシュで手を拭き、ジェルを手に出してもらった。ウェットティッシュはパッケージごといただいた。落ち着いてきたので「今日は馬事公苑に木を見にいってきたんですけど」「ああ、いいですよね」などと話し 最後に「取り乱してすみません。いろいろありがとうございました。」と言い、挨拶をし合って別れた。

 

実はカラスのことがそれからもずっと頭から離れず、やはり傷ついたには変わりなかったとは思うのだが、あのまま立ち去って後悔し続けるよりもよかったのだと思う。あのカラスに、頑張ったね、お疲れ様でした。痛かったね。悲しかったね。と言って時々お祈りしている。まさか今日、一生が終わるなんて思ってなかったよね、びっくりしたね、もう少し仲間と過ごしたかったね、と言って「君の死を覚えている者が、仲間のカラス以外にもこの世にいるということ、君の最後が曖昧になるのではなく、僕(ら)が君を見送ったよ、それを僕(ら)はずっと覚えているよ」と祈っている。

 

たまに、あの道にいってお祈りしようと思う。