きょう8月23日は八代目三笑亭可楽の命日です。

私の生まれた1964年昭和39年の8月23日に66歳で亡くなっています。

この師匠もやはり私の実家「長谷川」のお得意さまでした。

ですから亡くなった後も我が家ではずっと「可楽さん」と呼んでいました。

私が小学校4年の時だったか、浅草に行った時に父が可楽さんの二枚組のレコードを買い私に聞かせました。

収録されているのは「らくだ」「うどんや」「反魂香」「二番煎じ」

その中でも特に「らくだ」が大好きで何度も聞きました。

 

生前草履を買いにいらっしゃった時のことです。

明治生まれの祖母が

「師匠、なんですね、放送に出る時はハッキリお話になりますけどうちに来るとあんまりハッキリお話になりませんね」

よくズケズケ言ったものです。

すると可楽さんもまた表情一つ変えずに

「そりゃあなた、お金をもらって話すのとこれからお金を払うってぇ時に話すンじゃ違いますよ」

とこたえたそうです。

祖母もまた別に笑うわけでもなく「へぇそんなもんですかねぇ」

そばで見ていた私の母はそんな二人の様子がおかしっくって仕方なかったと話していました。

その祖母がガンで入院しました。

その時に付き添ってくれた女性が「キクチ」さんという方でした。

麹池という難しい字のキクチさん。

その方がふとした話で「私の兄が噺家になってしまいましてね。可楽といいましてね。」

祖父母も両親もびっくりしました。

その時で可楽さんが亡くなって14年が経っていました。

確かに可楽さんの本名を調べると麴池元吉といい珍しい麴池でした。

ちなみに祖母の名前は「きくゑ」

これもご縁なんでしょうか。

 

祖母が亡くなった後、父と谷中にある可楽さんの墓参りに行きました。

小雨が降っていた覚えがあります。

お好きだった日本酒のワンカップを供えました。