新しいビデオゲームを開発する人々が、世界で始めてのビデオゲームを発明した人を超える発明をするのは難しいように、メディアアートをはじめて世に打ち出した人を超えるアートを世の中に打ち出し、認知を得ていくというのは非常に難しい。
ビデオアート、正確にはメディアアートの創始者ともいえる人物「ナムジュン・パイク(白南準,Namjune Paik)」が亡くなった。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060130i515.htm?from=main5
彼の人生というのは、本当に1932年生まれの朝鮮人であるのかと思えるほど、国際的で、自由で、先進的な視野に満たされている。
戦火を逃れ、日本に住み、東京大学を卒業し、ドイツに渡り、その後ニューヨークや韓国で活躍している。
テレビというメディアをアートの素材として扱い、表現と作品と閲覧者のあり方、アートとテクノロジーの関係を大きく変えた作品がたくさん生まれた。
私も「Robotがゲームをする」というアートともいえるような科学デモ作品を作っているわけだが、Paikの歴史にはまだまだ到底かなわない。なんといっても「ロボット史上初の交通事故被害者」を生み出しているのだから(1982年)。
個人的には、近年のメディアート流行とその洛陽には考えされられるものがある。流行廃り、目立とう精神は別に悪いことではないのだが、はたして、Paikとともにあった40年の歴史の中で、彼の作品を越える、言い換えればメディアートの歴史に一石を投じるような作品や出来事がどれぐらい生まれたのだろうか。
私自身もこの訃報によって、もっとがんばらねば、という気持ちでいっぱいになった。それと同時に、60歳過ぎても現役で、作品を作り、世に評価されるということの意味を感じた。
長く生きて、それでいて大きな仕事をしなければ。
ここにナムジュン・パイクへの敬意と追悼を示したいと思う。