一年前の7月16日


あの日はかかりつけ医のところで、朝イチ点滴してもらおうと

前夜から決めていた


前日寝ては叫び寝ては叫びを繰り返して、全然寝れない

今思えば酸素が足りなくて、苦しかったんだと思う


動く様になってきた長女と

不調の次男

山積みの家事


「家にいるなら家事やらなきゃ」

よくわからない先入観が、優先順位を誤らせたと今は思う

寝たと思って洗濯をたたみ始めると、起きる

また寝たと思ってお風呂掃除を始めると、叫ぶ

その繰り返しで、どれもこれも中途半端になり、

一息ついたときにふと見たその光景に、

「何にもできないじゃん、自分」と感じた


次男の不調は日曜日夜中の熱発から始まった

朝まで様子見、すぐ月曜にはこども病院に連れていった


点滴もせず、本人もおなかすいたーとか言っていたし、

採血上では脱水の数値に至っていなかったこともあり、

入院せずに帰ってきた


私も付き添いになると長女を見る人がいない

主人が仕事を休めない、むしろ休んだらお給料が減る(不謹慎ですがホントのこと)など色々考えてしまって入院は避けたかった


今思えばは、ほんとに自己中


火曜日 熱は上がらず、少しづつだけど飲食できていたが、

吐くのはおさまらなかった

それでもライダーごっこをしたりして少しだけ元気だった


水曜日 火曜日とはうってかわっての不調さ

かかりつけにつれてって、点滴してもらう

そのまま帰宅


木曜日 冒頭の状況


金曜日 朝イチ受診

採血で長女含めRSウイルス罹患

酸素の値が80前半になっていた

点滴しながら、こども病院に長女含めてW入院できないか打診

もうこの時点で極度の脱水で、点滴もおっついてなかったと思う


病院から許可でて、3時ころくるよう指示

一時帰宅して、入院準備


喋っていたし、主人がいたからか叫んだりすることなくいた次男

長男のこともあり、病院には私で一人で連れてった

車内でも吐きそうになったり、騒いだりしてて、一刻も早く…と

思っていた


ついてから連絡行ってるはずなのに、数十分間待たされた

病棟に上がったときもしっかり私にしがみついて話もできていた


大部屋個室になって、次男の処置が始まる

次男は説明なしにいきなりやられるのが嫌だから、

いつも説明してからやってもらっていたけど、

そんなことは一切なく、暴れ出す次男

それを押さえつける看護師、医師


それをみた私をは

「酸素しないと死んじゃうよ!」

今思えばは、親として情けない声がけ

次男の気持ちを一番知ってるはずなのに、

次男を叱りつけるんでなくて、処置をする側に

次男はムリヤリされるのが嫌なんだ、だから…と

なんで言えなかったんだろう


採血、酸素マスクを装着しようとしたとき、

たぶん次男の中のなにかが弾けた

「いやだー!!!」

すごい声で叫んだあと、

開いてる目は私を、物事を捉えてなかった

ただ開いてるだけだった

そこに違和感を感じた私


たぶんあの時点で次男の意識は飛んだと思った

バタバタと医師が集まる

ICUの医師まで来たのを見て、ただ事じゃないと感じた

(コード・ブルーだったそうだ)


主治医が「処置するからICUに連れて行くね」と一言言って

ストレッチャーで運ばれていった


これが最後

ここから悪夢の始まりだった



嵐が去った病室で、

もう一つのベッドでもそもそ動く長女を視界にいれながら、

何度も自分の行動を振り返った

どこが違ってた?

どこから間違ってた?

日曜日熱が出た時点?

月曜日に入院させなかった時点?


いや、日々の健康管理を怠ったことでしょ?

「うちの子は大丈夫」なんて、わけのわからない自信でしょ?


それともフォンタンが終わってから、

ちょいちょい風邪ひいてたたけど、

幼稚園にも行けるようになって絶好調だった

むしろ調子良すぎて「このままいくとは思えない」と想っていたことが、引き寄せた?


……単に自分の責任を受け入れるのが怖かった

わかっていた、親である私の責任であることを。

私一人で管理しなければ、もっと色んな人の目があれば、

だれかの意見がはいれば、

こんなことにはならなかったんじゃないか?


こんなときまで自分の事を考えてることにも、嫌だった

親失格、そんな烙印が押された気がした




アノヒカラ一年

アノヒがなかったかのような元気ぶりを見せる次男


思い出したくもないアノヒだけど、

戒めでもあるアノヒ


アノヒを乗り越えた次男は、

何を思って乗り越えたのだろう


これからもずっと、アノヒは忘れられない日になるだろう

辛い出来事だけど、忘れちゃいけないアノヒ