本当に今思い返せば、母にかなり当たったりしてたように思う。
しかも母に
『いったい誰の味方なのよ
』
と、キレたこともあったなぁ・・・・
私と旦那が喧嘩してる時に、旦那の肩を持つようなことを言って腹が立ったんだよな・・・
そんなことがたくさんあったけど、やっぱり母がいてくれて助かったことの方が断然多い
そしてやっぱり何よりも心強かった
琉ノ介が生まれてまだ間もない頃、夜中に何をやっても泣き止まず、泣き方がどんどん凄まじくなってしまって虫を起こしてしまった様子で、息も苦しそうになってしまったことがあった。
母が起き出してきて『大丈夫、大丈夫』となだめて、アドバイスをくれたことを思い出す。
乳児湿疹が凄かった時、副耳の処置をした時、ベッドから落ちてしまった時、熱が出た時、離乳食開始の時、ほかにもたくさん私が不安だった時、色々と励まして私を安心させてくれた母。
本当に母には感謝しています
母は私の子育てに一度も自分の意見というか、そういうのをしたことがない。
『子育てには口をださない』
が、ある意味母のモットーだったと思う。
母は
『子育てに口をだすと喧嘩になるだろうし、あんたが親なんだからあんたの信じたようにやれば良いんだよ
私はそれをサポートするだけ
』
と、言ってくれた。
しかも
『今は昔と違って、色々と見解が変わってきてるんだろうしね。時代とともに子育ては変わるからね。』
とも言ってくれた。
なので、母は私に一度も
『ああしなさい、こうしなさい
これじゃ駄目あれは良い
』
という感じの事を言ったことがない。
『これはやめて
あれはまだ早い
』
と、私が母に言っていたくらいだ。
母がいてくれて本当に良かった
毎日の夜御飯も作ってくれてたのよ
やっぱり母のご飯は格別に美味しかったなぁ
しかも夜ご飯を作るってかなりの労力だし、子供の面倒を見ながら食事の用意をするって想像以上に大変なんだよね
母も仕事から帰ってきて疲れてるだろうに、毎日御飯の支度はしてくれていました。
母がいなくなって昨日から夜ご飯を作ってるけど結構適当・・・・
魚焼いて、圧力鍋で野菜を煮込んだりというかなり手抜き料理です・・・
圧力なべ最高
ビバ圧力なべ
でもやっぱり母のいない食卓はなんか寂しい
明日は母がいなくなって初めての休日。
休日の日は『ちょっとお願いしていい
』
と、ノスケを預けて旦那と出かけたこともしばしば。
私がもう死にそうになってた時も
『あんたちょっと寝なさい!お母さん琉ちゃん見ててあげるから
』
と、何度助けてもらったか数えきれない

本当にちょこちょこ見ててもらってたなぁ

ノスケはおばあちゃんが本当に大好きなのよね
母が仕事から帰ってきて
『琉ちゃんただいまぁぁ
』って顔を出したら
『キャァァァ
キョェェェェ
』
と、テンション
上がりまくってたノスケさん

たくさんノスケにお話してくれたおばあちゃん

いつも優しく遊んでくれたおばあちゃん

琉ノ介がよく笑う子なのは、母がいてくれたことがかなり大きいと私は思っています。
休日は旦那がたまにいないので(会社のフットサルだったり、パチンコだったり?)、そんな時はよく母と琉ノ介と3人でお出かけしてた。
って言っても、散歩してスイーツ
食べにいくって感じだけど
なんかそれもできなくなってしまうのかと思うと、かなり寂しい。
しかも早速明日は、旦那の地元の友達(沖縄)が東京に用事でくるらしく、明日の夜はその子たちと飲みに行っちゃうので、明日の休日の夜はノスケさんと私の二人っきりになるらしい・・・
今まではそんなことがあっても母がいてくれたから寂しくなかったしお風呂にもゆっくり入れたけど、もうこれからはできなくなるのよね・・・・
週末に弟は99%の確率で家にいない
1年間って長いよなぁ。
本当に月日の流れが速すぎて信じられないけど、母は東京に1年もいたんだよなぁ。
実は当初の予定では、母は3年間ほど東京で暮らす予定だった。
今回母が実家に戻った理由は、母の母親(私の祖母)が体調を崩したからだ。
『東京で生活できるのは、祖母が元気な今しかない
』
と思った去年。
まさかこんなに早く祖母が体調を崩すとは、母もかなりビックリしてたようだった
やはり自分の仕事のスキルうんぬんよりも家族が一番大切
予定を大幅に切り上げて、母は母の母の元へ(もちろん私の父の元にもね)帰っていったのです。
母は人生の先輩でもあり母親で、そして私の親で大好きな人。
どんなに憎まれ口を聞いたって、減らず口をたたいたって、一生縁の切れない家族。
家族だからこそ言える憎まれ口・減らず口。
だってそこには絶大な信頼関係があるから。
そして愛があるから。
母に『なんでそんなこともわからないのぉぉ
』とか言って『年をとるっていやぁね
』
と言っていたが、私も20年後には自分の子供に同じことを言われてるんだろうなぁと思うとかなり悲しい・・・・(笑)
とにかく色々あったけど、母がいてくれて本当に良かった。
帰ってしまった日は悲しくってちょっと泣けてきたし・・・・
私の実家は北海道
旦那の実家は沖縄
なかなか行ったり来たりできない距離だけど、今のところ3ヶ月に一度のペースで交互の実家に帰ろうかと考えています
aha
んで、帰ったときは琉ノ介の親ではなく、両親の娘に戻りわがままし放題
hahaha
できたら良いなぁぁ
母がいなくなって改めて思う母の大きさ。
『お母さん、本当にありがとうね
』
LOVE
ABOO a.k.a AKICO
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しかも母に
『いったい誰の味方なのよ
』と、キレたこともあったなぁ・・・・

私と旦那が喧嘩してる時に、旦那の肩を持つようなことを言って腹が立ったんだよな・・・

そんなことがたくさんあったけど、やっぱり母がいてくれて助かったことの方が断然多い

そしてやっぱり何よりも心強かった

琉ノ介が生まれてまだ間もない頃、夜中に何をやっても泣き止まず、泣き方がどんどん凄まじくなってしまって虫を起こしてしまった様子で、息も苦しそうになってしまったことがあった。
母が起き出してきて『大丈夫、大丈夫』となだめて、アドバイスをくれたことを思い出す。
乳児湿疹が凄かった時、副耳の処置をした時、ベッドから落ちてしまった時、熱が出た時、離乳食開始の時、ほかにもたくさん私が不安だった時、色々と励まして私を安心させてくれた母。
本当に母には感謝しています

母は私の子育てに一度も自分の意見というか、そういうのをしたことがない。
『子育てには口をださない』
が、ある意味母のモットーだったと思う。
母は
『子育てに口をだすと喧嘩になるだろうし、あんたが親なんだからあんたの信じたようにやれば良いんだよ
私はそれをサポートするだけ
』と、言ってくれた。
しかも
『今は昔と違って、色々と見解が変わってきてるんだろうしね。時代とともに子育ては変わるからね。』
とも言ってくれた。
なので、母は私に一度も
『ああしなさい、こうしなさい
これじゃ駄目あれは良い
』という感じの事を言ったことがない。
『これはやめて
あれはまだ早い
』と、私が母に言っていたくらいだ。
母がいてくれて本当に良かった

毎日の夜御飯も作ってくれてたのよ

やっぱり母のご飯は格別に美味しかったなぁ

しかも夜ご飯を作るってかなりの労力だし、子供の面倒を見ながら食事の用意をするって想像以上に大変なんだよね

母も仕事から帰ってきて疲れてるだろうに、毎日御飯の支度はしてくれていました。
母がいなくなって昨日から夜ご飯を作ってるけど結構適当・・・・

魚焼いて、圧力鍋で野菜を煮込んだりというかなり手抜き料理です・・・

圧力なべ最高
ビバ圧力なべ
でもやっぱり母のいない食卓はなんか寂しい

明日は母がいなくなって初めての休日。
休日の日は『ちょっとお願いしていい
』と、ノスケを預けて旦那と出かけたこともしばしば。
私がもう死にそうになってた時も
『あんたちょっと寝なさい!お母さん琉ちゃん見ててあげるから
』と、何度助けてもらったか数えきれない


本当にちょこちょこ見ててもらってたなぁ


ノスケはおばあちゃんが本当に大好きなのよね

母が仕事から帰ってきて
『琉ちゃんただいまぁぁ
』って顔を出したら『キャァァァ
キョェェェェ
』と、テンション
上がりまくってたノスケさん

たくさんノスケにお話してくれたおばあちゃん


いつも優しく遊んでくれたおばあちゃん


琉ノ介がよく笑う子なのは、母がいてくれたことがかなり大きいと私は思っています。
休日は旦那がたまにいないので(会社のフットサルだったり、パチンコだったり?)、そんな時はよく母と琉ノ介と3人でお出かけしてた。
って言っても、散歩してスイーツ

食べにいくって感じだけど
なんかそれもできなくなってしまうのかと思うと、かなり寂しい。
しかも早速明日は、旦那の地元の友達(沖縄)が東京に用事でくるらしく、明日の夜はその子たちと飲みに行っちゃうので、明日の休日の夜はノスケさんと私の二人っきりになるらしい・・・

今まではそんなことがあっても母がいてくれたから寂しくなかったしお風呂にもゆっくり入れたけど、もうこれからはできなくなるのよね・・・・
週末に弟は99%の確率で家にいない

1年間って長いよなぁ。
本当に月日の流れが速すぎて信じられないけど、母は東京に1年もいたんだよなぁ。
実は当初の予定では、母は3年間ほど東京で暮らす予定だった。
今回母が実家に戻った理由は、母の母親(私の祖母)が体調を崩したからだ。
『東京で生活できるのは、祖母が元気な今しかない
』と思った去年。
まさかこんなに早く祖母が体調を崩すとは、母もかなりビックリしてたようだった

やはり自分の仕事のスキルうんぬんよりも家族が一番大切

予定を大幅に切り上げて、母は母の母の元へ(もちろん私の父の元にもね)帰っていったのです。
母は人生の先輩でもあり母親で、そして私の親で大好きな人。
どんなに憎まれ口を聞いたって、減らず口をたたいたって、一生縁の切れない家族。
家族だからこそ言える憎まれ口・減らず口。
だってそこには絶大な信頼関係があるから。
そして愛があるから。
母に『なんでそんなこともわからないのぉぉ
』とか言って『年をとるっていやぁね
』と言っていたが、私も20年後には自分の子供に同じことを言われてるんだろうなぁと思うとかなり悲しい・・・・(笑)
とにかく色々あったけど、母がいてくれて本当に良かった。
帰ってしまった日は悲しくってちょっと泣けてきたし・・・・

私の実家は北海道

旦那の実家は沖縄

なかなか行ったり来たりできない距離だけど、今のところ3ヶ月に一度のペースで交互の実家に帰ろうかと考えています
ahaんで、帰ったときは琉ノ介の親ではなく、両親の娘に戻りわがままし放題
hahahaできたら良いなぁぁ

母がいなくなって改めて思う母の大きさ。
『お母さん、本当にありがとうね
』LOVE
ABOO a.k.a AKICO
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