今日、夕飯が終わって、娘を義母に見てもらい、病院にいってきた。
義父の容態は、かんばしくない。
日中は、義母が付きっ切りで病室にいる。
気管切開のため、物言わぬ義父になってしまったが、
人間は最後まで耳は聞こえるそうだ。
私が話しかけると、角膜がにごったその眼をあけ、左右に動かす。
きっと、返事をしてくれているのだろう。
熱でほてった手を握り締め、ただただ時間だけが流れた。
思えば、昨年の秋ごろ、パーキンソン病と診断された。
それからのこの一年は、すさまじい速さで病状は進行した。
まず、小また歩行になった。前傾姿勢が常で、転倒が増えた。
そのため、日課であった散歩もしなくなり、家で過ごすことが多くなった。
パーキンソンの薬の副作用がではじめ、幻覚・幻聴がではじめる。
そして、排泄障害。オムツの生活。
トイレ・風呂の介助など。
義母を中心に、義父の介護生活にどっぷりと浸かっていった。
年明けには、転倒からの圧迫骨折のため入院。
デイケア、訪問リハビリなど。
春先から、嚥下が難しくなってくる。
GWには、再び、圧迫骨折のため入院。
夏には、車椅子で温泉旅行にいく。
その後、お盆過ぎに誤嚥性肺炎で入院。
絶飲食がつづく。
9月はじめ、酸素濃度が急激に低下。危篤状態。
人工呼吸器を進められる。
10月半ば、深夜に痰がつまり無呼吸状態で緊急呼び出し。
その後、人工呼吸器の装着。
11月半ば、気管切開の手術の予定だが、容態悪化のため中止。
11月末日、気管切開手術。
以後、発熱を繰り返しながら今日を迎えている。
今日、お義父さんに『おとうさん、ようがんばっとるなぁ。誰ばり、耐えれんことやで』
と思わずいった。
物言わぬ義父は、私たち家族を結びつけてくれているように思う。
人間、最後は一人で死ぬのだ。
命には限りがある。
長かれ短かれ、自分の命の時間をまっとうできたら、しあわせだ。
義父が、まだ意識レベルが低くないときに、
『いままでいろいろ楽しかったわ。ありがとう。』
といっていたのが忘れられない。