ふと気づけば更新も途絶え、すっかり放置ブログみたいになっちまいました。

GWを境に、以前から闘病を続けてた私の母の様態が急激に悪化しました。


ご存知?の通り私は静岡県在住で、両親は横浜市内の一戸建てに2人で住んでます。

通院治療でも母の様態は悪化を続け、それを介護する父の気力体力も限界を向かえてました。

転院に転院を重ね、最後は某大学病院にまわされました。

朝一番に受付し、数時間待っての3分診察。投薬しておしまい。

経過観察を経て、処方の変更等はまた2週間後。


このペースでは弱りきった私の両親の体が持ちません。

せめて外部のヘルパー等を入れ、家事や介護、通院の付き添い等を代行してもらってくれと。

ところが外部の人の介入をかたくなに拒む両親は、受け入れてくれません。

そんな状況で困り果ててた時にUPしたのが、前回のエントリです。


そしてGW明け。通ってた大学病院から入院治療を勧められ、対応できる別の分院に転院。

ようやく事態が進展し、父の介護疲れも解消されると安堵しました。

ところがその1週間後。

担当医から電話で、ベットが空く見通しがつかないので、自分で他の受け入れ可能な病院を

あたってくれと。

これを聞いたとき、さすがの私も落胆のあまりパニックになりました。


すぐに、事前に連絡を取っていたソーシャルワーカーのいる別の病院に、父に電話させました。

翌朝すぐに病院に行き、状態を見た先生が即入院で受け入れてくれました。


これが経緯。母は入院して闘病中で、だだっ広い家に一人ぼっちになった私の父。

いわゆる荷卸状態で、今はただ虚無感、罪悪感、孤独感に苛まれてる日々です。


そんな父を、病と闘う母を、私は支えたいと願ってます。

自分に何ができるのか。どうするべきなのか。

何も手につかず、毎夜ただただ考え続けて眠れない日々が続きます。

親の事を考え続け、親元から離れた静岡で仕事を続けてる事自体が罪悪のように思え

仕事を放り出して、横浜に駆けつけようとした事も幾度と無くありました。


なけなしの金を払って先月入校した教習所にも通えなくなりました。

退校して実地分だけでも払い戻してもらおうかな?


こういった状況ですので、釣りはおろかブログを書く気力も無く、結果放置にいたったわけです。

当分釣行の予定はなく、時間に余裕が出来てもそんな気分ではありませんので、

しばらくはまとまった量の文章をUPするのはお休みします。

当分スタイルを変えて、携帯でちょこちょこ近況をUPしようと思ってます。


また、ご覧いただいた皆様には心苦しい限りなんですが、コメ欄をしばらく塞がせていただきます。

せっかくコメントいただいても、返答させていただくだけの時間と心のゆとりが今の私にはありません。


今はただ、「明けない夜はない。」と信じ、日々を過ごすのみです。