NHK大河ドラマで「矢島御所」が紹介されたという話を聞いたが、近時、一段と記憶が怪しくなったこともあり、「矢島」を思い出せなかったので現地に行ってみた。

 

琵琶湖大橋の東岸にある守山市。 

面積56㎢弱ほどの市域に30ヶ所余りの中世城館が確認されているそうだ・・・。

 

市域の中央部からやや西北側に矢島集落があり、北から南に向けて集落を断ち切るように浜街道(県道26号)が貫通。

 

 

集落内の道は狭く、その多くが曲がりくねっており、また行き止まり箇所も有るので余所者にとってクルマでの移動は大変だ。 

そんな集落のほぼ中央にある矢島町自治会館(コミセン)に駐車。 

 

 

自治会館あたりは「御所」と呼ばれ、約50m×60mのいびつな方形の周りを囲む水路に堀の痕跡を確認出来た。(※水路により囲まれた区画は、他に数ヶ所あり)

 

 

ここは、室町幕府最後の将軍足利義昭(義秋)が興福寺の軟禁から脱出して甲賀(和田氏)経由で当地に逃れ、永禄8年(1565)から翌年に若狭(武田氏)を頼って移動するまで居住した処。義秋は当地で還俗したとのこと。

 

後に大溝藩(現在の湖西、高島市にあった藩)の陣屋が建てられ、明治初年に村に払い下げられ会所として使われたそうだ。

 

自治会館の西側に隣接して、大徳寺の一休宗純禅師の開山になる少林寺。

 

 

山門を入ると、すぐ左手に竹箒で庭掃除する一休さんの石像。

境内は臨済宗の寺らしく手入れされた庭・・・敷石と苔、片隅に小さな池とその背景の築山(土塁跡か?)。

一休宗純禅師お手植えの銀木犀。

 

 

少林寺西側、武道天神社との間の路を石垣や水路に沿って北に進むと矢島城跡。

 

ここにも土塁が残っているそうだが私有地のため近寄れず、またブッシュのため確認できなかった。

 

 

 

そのまま北に進み集落の外れに出ると東に近江富士(三上山)、西に比叡と比良の山々。

 

 

この日の探訪、約1時間、6520歩。

 

 

【参考文献など】

守山城物語

玉津学区歴史散策マップ

滋賀県中世城郭分布調査報告書