自己紹介でお話しした通り、私が網膜色素変性の診断を受けたのは19歳の時でした。

当時、地元を離れて県外で一人暮らしをしていた私が大学2年の夏休み、秋からいく1年間の海外留学の為に身体の気になる箇所は検査しておこうと軽い気持ちで行ったのが近所の大学病院でした。

当時、目に異常は感じていませんでしたが暗い所が見にくいなーと感じる事があり耳鼻科のついでに行こうと言ったのがこの病気を知るきっかけになった眼科です。

診断された当時はドラマのワンシーンみたいだったという感想が1番ピンとくるかもしれません。

病名を聞いて、いきなり目から涙が溢れでて病室を出てからスマホで病名を検索し、難病、失明というワードが出てきて目の前がいきなり真っ暗になるような感覚でした。

その後、もう一度先生に呼ばれて治療法がないと伝えられ今まで想像してた、当たり前だと思っていた未来が全て崩れていくようでした。

幸いにもその先生は同じ病気を持ちながら看護師として働いている方のお話をして下さり、若いし、見つかるのも早かったから光から目を守るなどの対策も取れるし、治験や研究も進んでいるから、君ぐらいの歳の子なら失明はしないだろうと励ましてくれました。

しかし、その頃の私はもう素直に先生の言葉を受け取れる状態ではなかったです。治療法っていつ見つかるのそれまでに自分はどれだけ見えなくなるの?これから海外留学に行くけど、目が見えないのに語学を勉強して自分は何になるんだろう?
みんなは車に乗る乗らないの話をしてるけど、車や自転車の運転さえできないの?普通に就職できるの?子供に遺伝は?結婚は?

沢山の不安で頭がいっぱいでした。

20歳まであと半年なのに、なんで19年以上生きて今なんだろう?もっと歳を取ってからじゃダメだったの?と病気を責めてばかりでした。

つづく