気づけば7月も1/3が過ぎ、ただでさえ一方向にしか進まない時間の相対的な速度を感じます。

ミュージカル「雫の星語り〜Only God Knows〜」

無事に千穐楽を迎えることができました。





不安をパンパンに詰め込み東京へ来てから一か月、シズクとともに在り続けた日々でした。正直果てしなく感じた長い長い時間は、今となって思うときっと、それだけ真剣に向き合っていた証でした。


終わってしまえばきっと寂しくて堪らなくなるのだろうなと思ってはいたけれど、まだその寂しさが腑に落ちるほど日常に戻ってこれていないのが本音です。ただの休演日のような気持ちで昨日の一日を過ごしていましたが、山笠の準備に染まった福岡の街を歩く時間に、ついに本当に終わったのだと実感し始めています。


配信のチケットはいまだ発売中で、アーカイブも21日までご覧いただけるということで、内容を振り返るのはもうしばらく後にしたいと思います。どっちにしろ未だ整理のつかない気もしていて、ちょうどいいのかもしれません。


配信のチケットはこちら💁🏻‍♀️

https://act-pit.com/events/view/?eid=RJKH9K5s


ですがどうやらこのブログは、今回のカンパニーのさまざまな人が読んでいるらしい!!


ので、中身のことではなくこの一ヶ月と、雫の星語りという物語との縁を少しだけ。





とあるところにある一ノ瀬という小さな町の神社が舞台のこのお話。私はそこの娘であるシズクを生きていました。


私はいつも、自分と近しい経験や似た思いを持てる何かからその役のかたちを知るようにしているのですが、今回はそんな時間もほとんどなく、ただ目の前のことに必死で食らいつく稽古期間。でも生まれ育った町のシンボルとも言える神社や地元の歴史、神様のように崇めている小説家の先生、進むことを拒否した進路、そんな共通点の多さがいつも私を助けてくれました。そんなところから運命めいたものは感じていましたが、これはすっかり忘れていたというか、絶対に覚えておくべきだったことを思い出すともう、そうなのだと思うしかありませんでした。


今年の頭くらいに、幼い頃に一緒に住んでいた曾祖母が神社の家系だったことが発覚したんです。発覚したというか、旧姓に宮がつくという話からなんとなくそうだろうとは聞いていた(曾祖母もそんな話をしていた)のですが、詳しく聞く前に曾祖母も祖父も旅立ち、今年の初めに父が自分の足でその神社を探し当て、どんな神様を祀っていて、どんなお祭りが開かれているかを知ったそうです。


というのを思い出したのは本番の途中。

その祭の話になり、ようやく思い出しました。なぜなら祭はその期間に開かれていたそう。

とはいえ当たり前に話を聞いたこともなく、私はまだお参りできたこともなく、何かを活かセルということもなかったけれど、シズクという存在はもしかすると、ほんの少し何かがズレていたらあり得た未来なのかもしれないと一気に近くなりました。現実的にはあり得ない話でこじつけにも程があるのかもしれないけれど、もうこれはそうなる運命であり、縁だったのだなと思ったのです。


この作品と関わる中でそんな瞬間が他にもたくさんありました。何かに導かれているのだと思ってしまうような、出逢うべくして出逢った作品なのだと信じるでもなく理解してしまうような、そんな瞬間たち。


合流してから一ヶ月、正直何度だって折れてしまえることがあったけれど、その度に神がかったタイミングで救いと出逢ったり、この人とこんな話をするためにここにいるのだと思えたり、きっといつまでも大切にできそうな言葉をもらったり、すべてが仕組まれたように意味を持った時間でした。


今はただただ寂しくて、決して短かったともあっという間だったとも思わないのに、世の中の時計とずれているような、7月も半ばになってるのはおかしいよ!!!みたいな、玉手箱を開けた気持ちでいます。

自室のソファーに寝転びながら、みんなにはもう会えないのかとようやく理解し始めて、福岡という場所が離れていることを今一度実感しました。


それでも心の中には一ノ瀬という町があるから、いまはもう少し心の中の大切な場所を頻繁に訪れたいと思います。


みんなもそうなら、

きっとそこで会えるからね。





ではまた。