易経一日一言は 1月9~18日の10日分です。
※易経一日一言を一年間通して読まれれば、
易経に書かれているおおよその内容を把握出来ます。

 

☆本当は一日一言は毎日投稿した方が良いのですが、
しばらくは一日おきに仕事なので、数日分を纏めてUPします。

 
~帝王学の書~1月9日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆一陰一陽☆
 
一陰一陽これを道と謂(い)う。(繋辞上伝)
 
陰陽は互いに相反し対立しながら、助け合う。
そして混ざり合おうとして交わりながら、
螺旋状に大きく循環して発展成長する道を造る。
 
陰陽は天と地、男と女、進と退というように、
対立する二つの性質に分かれ、
たがいに反発しながらも交じり合おうとする。
 
易経の思想では、この陰陽作用による弁証法的働きを道といい、
膨大なるエネルギーを発し、万象を生み出す源としている。
 
夏と冬は対立しながら、その力を消長、転化させ、四季は巡る。
 
冬が極まれば、春が訪れ、夏へと向かい、
夏が極まれば秋が来てまた冬へと向かう。
春夏秋冬が巡ることで生み出されるものは数限りない。
 
身近な例に喩えれば、学びの時代は陰。
その学んだものを社会に発揮することは陽である。
夜に休んで英気を養うのは陰。
そして翌朝、力強く爽やかに目覚めることは陽に当たる。
 
私たちの人生も、一陰一陽の作用の中で営まれている。
 
 
 
 
~帝王学の書~1月10日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆思い半ばに過ぐ☆
 
知者その彖辞(たんじ)を観れば、
思い半(なか)ばに過ぎん
         (繋辞下伝)

 
「彖辞(たんじ)」とは易経六十四卦(か)の最初に記される言葉。
 
吉凶存亡の道理を知った者ならば、
物事の始まりを観ただけで、その大半を把握するだろう、といっている。
 
何かのきっかけ、誰かに言われた一言で、
「そういうことか」と腑(ふ)に落ちることがある。
易経には、そうした一言で感応を呼び起こすような辞が記されている。
 
 
 
 
~帝王学の書~1月11日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆易経の用い方☆
 
易の書たるや遠ざくべからず。
          (繋辞下伝)

 
変化の法則性を説く易経は日常に用いる書である。
時は常に変化し、物事は日々変わっていく。
その日常の中で、毎日少しずつ読むことが大切である。
すると、自分に関係ないことは一つも書かれていないことに気づく。
 
自分自身や世間の出来事とすり合わせて易経を読むことで、
変化の原理を洞察する力が鍛えられる。
そして何よりも、教えを実践してみることで効力を実感できる。
 
 
 
 

~帝王学の書~1月12日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆奥義を知る☆
 
その言(ことば)曲(つぶさ)にして中(あた)り、
その事(こと)肆(つらな)りて隠る。
             (繋辞下伝)

 
易経の言葉は、原理原則の幹から多様に伸びる枝のようである。
 
そこに書かれていることは
状況の変化に応じるために紆余曲折するが、内容は的を射ている。
 
また、あれこれと物事を言い表しているが、その裏には奥義が隠れている。
現象の裏側に潜む真理に気づき、正しい選択をし、
よりよき人生を生きるための羅針盤とすることに易経を読む意味がある。
 
 
 
 
~帝王学の書~1月13日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆恒 久☆

天地の道は、恒久にして已(や)まざるなり。
               (雷風恒)

 
天地の道は永遠に続いてやまない。
「恒久」とは、いく久しく永遠に変わらないという意味。
しかし止まって動かないわけではなく、一日が朝昼晩と変化し、
一年が春夏秋冬と巡るように、常に変化発展していく。
 
ただし、その順序が変わらないように、
変化の中にも久しく継続して変わらないものがある。
人間の生き方も同様で、時代を経ても決して変わらない根本がある。
 
 
 
 
~帝王学の書~1月14日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆天地の交わり☆

天地交わりて万物通ずるなり。
上下交わりてその志同じきなり。(地天泰)

 
天の気と地の気が交わって地上の万物が生まれ、
上下が交わって意思が通じる。
天地が交わる、上下が交わるとは、陰陽が交わることをいう。
陰陽が交わらなければ、この世の何ものも生育することはない。
 
男と女が交わって子供が生まれる。
会社組織であれば、
経営者と部下の志が一つになって大事業が成り立っていく。
地天泰は天下泰平の時を表すめでたい卦(か)。
 
 
 
 
~帝王学の書~1月15日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆父は父たり、子は子たり☆
 
父は父たり、子は子たり、兄は兄たり、弟は弟たり、
夫は夫たり、婦は婦たり、しかして家道正し。
             (風火家人)

 
家庭が円満であるためには、親子、兄弟、夫婦が
各々の持ち場を守ることである。
父は父らしく、子は子らしく、兄は兄らしく、弟は弟らしく、
夫は夫らしく、妻は妻らしくあるのがよい。
 
すべての存在には区別役割がある。
「父の役割とは」「子の役割とは」と自らに問いかけて、
家族一人ひとりがその役割を果たすことで、家が定まり調和する。
 
地天泰は天下泰平の時を表すめでたい卦(か)。
 
 
 
 
~帝王学の書~1月16日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆家を斉(ととの)える☆
 
家を正しくして天下定まる。
         (風火家人)
 

 
すべての物事は、内から外に及ぶ。
家庭を正しく治めたならば、それが社会全体に波及していく。
家庭生活のあり方が社会に、天下国家に反映するのである。
 
家を安らかにするには、
自分の心を安らかにして身を修めることが第一。
家を安らかにして、一家が和やかに睦み合い、譲り合えば、
その気風や美風が天下に満ち満ちていく。
 
これは四書五経の『大学』八条目にも反映されている考え方である。  
 
 
 
 
~帝王学の書~1月17日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆修 業(しゅうぎょう)☆
 
君子は徳に進み業を修む。
        (文言伝)

 
「徳」とは、善き人格や善き行いのための要件となるもの。
自分がどうあるべきなのか、
どういう振る舞いをしなければならないのかを指し示し、
自分の質を向上させるものである。
 
また、この質にも、人間的な質、技術的な質、
企業としての質などいろいろあるが、
日々、志した「質」の向上を目指して
自分の一日の仕事を修めることが大切である。
それを「修業」という。
 
 
 
 
~帝王学の書~1月18日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆修 辞(しゅうじ)☆

辞(じ)を修めその誠を立つるは、業(ぎょう)に居るゆえんなり。
                 (文言伝)

 
誠実に思いを伝えられるのは、
自分の業にしっかり身を置いているからである。
 
「修辞」は饒舌に飾り表現された言葉という意味ではなく、
本来、「簡潔明瞭で力強い言葉」、効果的で分かりやすく、
適切で説得力のある、生きて伝わる言葉をいう。
 
特に、上に立つ者は
この「修辞」=「伝える技術」を身につけなければならない。
「黙っていてもわかってくれる」と考えるのは怠慢である。
 
        ​『易経一日一言』(致知出版社)
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