易経一日一言は12月4日~11日の8日分です。


※易経一日一言を一年間通して読まれれば、
 易経に書かれているおおよその内容を把握出来ます。
 
☆本当は一日一言は毎日投稿した方が良いのですが、
原稿や資料作りに追われていて、数日分を纏めてUPしています。
 
~帝王学の書~12月4日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆優れたリーダーの三条件☆
 
君子はその身を安くして而(しか)る後に動き、
その心を易くして而る(しか)後に語り、
その交(まじわり)を定めて而(しか)る後に求む。
                 (繋辞下伝)

 
優れたリーダーは三つの能力を修めている。
 
第一に危ない時には動かない。
負ける喧嘩はしない。
 
第二に、よく考え、確信を持ってから平易な言葉で語る。
思いつきで語ることはない。
 
第三に、人とは親しく交際し、その信頼を深めてから物事を求める。
 
 
 
 
~帝王学の書~12月5日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆邪を閑ぐ☆
 
邪(じゃ)を閑(ふせ)ぎてその誠を存し(文言伝)
 
「邪を閑(ふせ)ぐ」とは、
外からの「邪」ではなく、自分の中の「邪」を防ぐこと。
 
どんな人でも正(誠)と邪の両方を持ち合わせている。
人間誰しも弱く、邪心が芽生え、罪を犯す可能性がある。
自分には邪心などないと思っていたら防ぐことはできない。
内なる邪を自覚して、それを防ぐための仕組みを作ることが大切である。
 
企業に不祥事が起こるのは、「邪を閑ぐ」努力をせず、
それを誤魔化す環境を経営者自らが作った結果である。
 
 
 
 
~帝王学の書~12月6日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆行き過ぎに注意☆
 
飛鳥(ひちょう)これが音(いん)を遺(のこ)す。
上(のぼ)るに宜(よろ)しからず、下(くだ)るに宜(よろ)し。
大いに吉なり。    (雷山小過)

 
飛ぶ鳥の鳴き声はするが、姿は見えない。
高く飛び過ぎてばかりで止まる場所を得ないのでは、疲れてしまう。
飛び過ぎたな、無茶をしたなと思ったら、
速やかに力を抜いて地上に降りて休むのがよい。
 
これはやりすぎを戒める、日常のあらゆる事柄における教訓である。
 
雷山小過(らいさんしょうか)の卦名(かめい)
「小過(しょうか)」は、少しく過ぎる。
日常的な事柄に関して少しずつ行き過ぎや過(あやま)ちがある時を説く。
 
 
 
 
~帝王学の書~12月7日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆大転換期☆
 
 号(さけ)ぶことなかれ。
 終(つい)に凶あり。 (沢天夬)


沢天夬(たくてんかい)の卦(か)は
権力者を決(けっ)し除く時を説くが、
ここでは追われる権力者について述べている。
 
どれほど助けを求めても、救いはこない。
終わりには追い落とされるのだから、
決心して自ら退くべきであるといっている。
 
「夬(かい)」は決壊の意味でもあり、
時が至って勢力に押され、破れること。
幕末期はまさに沢天夬(たくてんかい)の時といえる。
 
時代の転換期には、行いの良し悪しに関わらず、
「時の勢い」によって滅ぼされるということがある。
 
 
 
 
~帝王学の書~12月8日の『易経一日一言』(致知出版社)

 王臣(おうしん)蹇蹇(けんけん)たり☆
 
王臣蹇蹇たり。
躬(み)の故(こと)に匪(あら)ず。
象(しょう)に曰く、
王臣蹇蹇たりとは、
終わりに尤(とが)なきなり。(水山蹇)

 
水山蹇(すいざんけん)の卦(か)は
大きな障害によって前進を阻(はば)まれる険難の時を表す。
 
国家の険難を救おうと、王の臣下は名誉や出世、報償など私を考えず、
身を粉にするように「蹇蹇(けんけん)」と苦労を重ねる。
しかし、実力が及ばず、険難を脱する術を持たない。
 
このように、険難の時は努力しても報われないこともある。
それでも、成果を問わず尽力すべきであると教えている。
 
 
 
 
~帝王学の書~12月9日の『易経一日一言』(致知出版社)

    ☆困学~苦しんで学ぶ☆
 
険(けん)にしてもって説(よろこ)ぶ。
困(くる)しみてその亨(とお)るところを失わざるは、
それ唯(た)だ君子のみか。
             (沢水困)

 
困窮の極みの険難にあっても、
乗り切った後の悦びを信じてやり通すことのできるのは、君子だけである。
 
しかし、どんな人でも困難から学ぼうとすれば、
苦しみが何を教えているのか会得できるものである。
これを「困学(こんがく)」という。
 
苦しんで学べないのは小人であり、
小人のままでは困窮を脱することは難しい。
 
 
 
 
~帝王学の書~12月10日の『易経一日一言』(致知出版社)

 ☆虎の尾を履む☆
 
虎の尾を履(ふ)むも人を咥(くら)わず。
亨(とお)る。
           (天沢履) 

 
「虎の尾を履(ふ)む」とは極めて危険なことの喩えだが、
出典である天沢履(てんたくり)の辞には、
分外の危険を冒しても虎に食われずに最後まで仕上げることができるとある。
 
「履(り)」とは草履の履(り)で、「踏む・履(ふ)む」という意味がある。
何を踏むかというと「礼を履(ふ)む」のである。
 
分外の大業を為すという自覚があれば、
力のある人(虎)に頭を下げ、謙虚に物事を学ぼうとする。
その姿勢を貫けば、困難や危険を乗り越えていけるということだ。
 
 
 
 
~帝王学の書~12月11日の『易経一日一言』(致知出版社)

   ☆黄金の耳☆
 
鼎(かなえ)黄耳(こうじ)金鉉(きんげん)あり。(火風鼎)
 

鼎(かなえ)は古代中国では供物を煮炊きする大鍋の祭器であり、
国の権威を象徴するものであった。
 
この鼎(かなえ)には担いで運ぶために鉉(つる)を通す耳が付いている。
耳が壊れていたら供物を運べない。
そのため、鼎の耳は国の権威を保つための要として「王の耳」に喩えられる。
 
鼎(かなえ)の耳に空いた穴には、
賢者の諫言・智恵・明知を表す「金鉉」が貫いているところから、
虚心に人の意見を聞く一国のリーダーの耳を「黄金の耳」という。
 
        ​『易経一日一言』(致知出版社)

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