これだけ「歩きスマホはおやめください」
とアナウンスされる世の中で、実際に事故も起こっているのになぜ減らないし、やってる人は止めないのだろうと考え続けるうちにあるパターンに気付いた。
例を挙げよう。
先日起こった痛ましい事故ニュース。
電動自転車に乗りながらイヤホンし、片手に飲み物、片手にスマホ、そしてそれを見ながら人をひいてしまったという。
常識的に考えてみよう。
今自分に「この自転車乗りながら、イヤホン、スマホ見ながら飲み物片手にここまで乗って移動してください。人などは避けてください。信号はきちんと止まるように。」と言われたらできる気がしない。
もはや曲芸。できたらサーカス級だと思う。
つまり、歩きスマホ含め、画面をじっと見ながら移動している人たちは
歩いている時間をヒマな時間
と勘違いしているんじゃないか。
もうひとつ気付いたのは歩きスマホしている人には2パターンあって
1)「遅れます」などの急ぎメッセージを打っている人
これはメッセージを終わったらスマホをしまったりする人で、今、やむおえなく一時的に使っている人
(とはいえよくない)
2)ゲーム、動画、張り付きLINEなどで、別に今でなくても良いことを延々とやりながら歩く人
これらはどう考えても自力で移動するという行為を軽んじているとしか思えない。
ある人が運転しながらわずかな信号待ちの間ごとにTwitter確認していて、
さすがにそれは危ないから注意したことがあった。
これも信号待ちをヒマな時間と勘違いしているのだろう。
実際自動車でエアコンなどの操作を信号待ちなどでやってみるとわかるが、
とっさに青になると一瞬頭が切り替わらなくなることもある。
正月、実家に帰っての出来事。
妹がスマホでずっとFGOをやりながら、家族との会話もどこかめんどくさそうに。
その旦那さんとの会話も「サーバメンテが終わった」とかそんな感じで。
旦那さんもモバイルバッテリーつないでずっと視線は画面内。
親父が運転する車の中でもずっとスマホ。
仮にこれが読書だったり、DSだったりTVを使うゲームだったら「今は止めよう」となるはずなのに
スマホだけはなぜ違うのだろう。
自分なりの答え
あまりに身近なものすぎるから、かつ、基本的に他人から内容が見えないから。
スマホ=昔の携帯電話からの流れ
携帯の用途はもともと緊急連絡用で、
みなさんも経験あると思うけれど、むかしむかし友達など会って会話しているときに相手の携帯の着信音がなったら
「どうぞどうぞ」と気遣ったりしていた。
もともとがそんな感じのツールだったから
今でも人と人が集まっても、画面はスマホってのが許されるんじゃないかと。
さすがに妹のは見ていて許せなかったので注意しましたけれど、不服そうだった
(真剣に会話している父に対して失礼すぎ)。
仮にせっかく人と人が集まって会話しているのに
誰か一人「今からスマホでゲームしまーす」って宣言したら絶対シラけますよね?
さすがに、隣にいる人、「止めようよ」って注意しますよね?
でも、だまってうつむいて操作していたら、黙認されるこの不思議。
最近では家族4人、お父さんお母さん小さい子供2人でファミレスに来て
お父さんが会話もなくずっとパズドラやってるなんて光景をよく目にする。お母さんはインスタでしょうか?
各家庭色々あると思いますが、なんとなく見ていてどうなんだろうと。
家に帰って時間ができてから遊ぼうという感覚はないのか。
やっぱりスマホって持ち歩くツールだからいつでもどこでも出来てしまうっていうのが強いんじゃないか。
同じゲームでも仮にこれが家庭用ゲームだったらそういうわけにはいかないのに。
スマホも正しく使えば素晴らしいツールなのに
最近なんだか残念なことばかり目についてしまって悲しいです。
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