シェアファーム:命を育てるということ | Wander the World

シェアファーム:命を育てるということ

3月中旬、エリさんが余らせたトマトの苗を受け継いで、私もシェアファームを持って自分で栽培を開始することになった。

※ここでいうシェアファームとは、ファーマーの土地を借りて、栽培から出荷まで自分ですべて行い、売り上げをファーマーとシェアする、というもの。作物をマーケットに売りに出すまでお給料はないし、むしろ誰かに手伝ってもらう場合は自分が給料を払うのだが、水や肥料代、大方の備品はファーマー持ち。


トマト栽培を自分でぜーんぶやるのは初めてのこと。ミニトマトは、ほぼ全過程ひと通り体験したとはいえ、若干勝手も異なるし、経験者エリさんに聞きながら、見よう見まねで実験的な日々が始まった。


運ばれてきた苗たち



①3月中旬、苗植え開始。
暑くなる前の早朝、プランターケースごと液体肥料に湿らせてから植えていく。


苗6,000本に対してスペースが十分に無かったため、間隔狭めで植えまくることに。
(これが厳しい結果になるのだとはこの時はまだ知らず・・。)



②植えた後、列の両端に深い穴を掘り、大きな柱を立て、柱にワイヤーをくくりつける。
(これは力仕事なのでエリさんに手伝ってもらった。)



③木のスティックをさしていき、ヒモでとワイヤーを結びつける
(成長してくるトマトを支えるため)。



これで大枠は整い、花が咲くのを待って、間引きを開始するのだが・・・。

2週間経過、花がつき始めた頃、まさかの大雨!嵐が来た。
カナーボン一帯はとても乾燥していて、雨自体本当に珍しいのに、もうすさまじい豪雨。
これで、かなりの花がとれ、収穫第一弾の実は逝ってしまったことになる。
多くの苗もダメになり、とてもショックだった・・。

しかし、何とか頑張って残っているたプラントを救い出さなければ!!
泥まみれになっ枝をきれいにし、汚れた葉をカット(バクテリア繁殖で病気になりやすいため)。


④そして第一回目のプルーニング。


⑤それが終わると、テーピング作業。

実の重みに負けずまっすぐ育つよう、スーパーの値札付けで使われるような器具を使って、メインの枝をスティックにくくりつけていく。
プラスチックテープとホッチキスの芯のような落ちても土に返らない素材を使うので、個人的には好きではないけれど、何せ大量の苗&“ビジネス”なので使用。


⑥さらに約1週間後、2回目のプルーニング&テーピング。
いつもはメインの枝を一本で育て実を大きくさせるのだが、このシーズンはファーマーの方針で、メイン+もう一本の枝を残すことに。それはかえって難しく、時間のかかる作業だった。

着実に成長していく中、このプルーニング&テーピングを約7回ほど繰り返したろうか。


はじめの頃は、他の仕事も忙しくなく、自分の分はすぐに終わってしまうので、エリさんのお手伝いをしつつ、ヨガ&玄米菜食料理を楽しむ毎日。身体の調子もすこぶるよく、余裕があると何でも楽しめる。

花が咲き、実に変わって、それが少しずつ大きくなっていく。


その変わりゆく一瞬一瞬を見られることがすごく楽しくて、ワクワクしながら見守っていた。


5月頭、ついにボトムから色づき始めた!!!

何という生命の輝き!

うっすらと色づいた様子を見た瞬間は、疲れも吹き飛ぶ喜びがあった。
“命を育てている”のだ、と勝手に子育て気分。私の力じゃないけれど・・・。



と同時に、4月、5月は、オーナーのメインの仕事も忙しくなってきた。
広大な敷地に植えたミニトマトの仕事が始まり、加えて、働きに来ては辞めていく人たちに仕事を教えてチェックして・・、といった仕事も加わり、てんやわんや。


その仕事の傍ら、早朝か夜の暗い時間帯のみにしか自分のファームで働けなくなり、ヘッドライトを使うのだが、これがまた見づらく作業がさらに遅くなる。

プルーニングが終わったら、テーピング、それが終わった頃にはまた最初の列の次のプルーニングを始めないと!かなり伸びてきた雑草も刈らないと・・・とエンドレス。
趣味のファームなら自然農にするのに・・。



そして心配ごとがひとつ・・。実が大きくならないのだ。
完全に、スペースに対して苗を植えすぎ + メインの他もう一本の枝を残したのがまたまずかった。
土の養分や太陽光がすみずみまで行き渡らず、枝も細くて、何だか苦しそう・・・。

いつも暗い中働いて、植物が寝る時間に触ってるから、ストレスもかけたんだろうなぁ。
触る人が疲れてたから、悪い波動も与えたんだろうなぁ・・。ごめんね~・・と謝りつつ、4つ目の実の上で枝きりをしたが、遅すぎた。やっぱり大きくならない。
実が小さいと、セカンドクラスになって値段は落ちる。。


それでも日中畑に来られたとき陽の光の下で見ると、どの子たちも日光浴(光合成?)しながら輝いていて、またまたパワーをもらうのである。


こうして植えてからちょうど2ヶ月が経過。忘れもしない5月中旬。

エリさんの畑の収穫が始まった2週間遅れで、ついに私の最初の収穫日が来た!!!

よくぞ育ってくれました・・!(涙)

↑こんなに緑のを採っていいの!?って感じですよね?
でもボトムさえ色づいていたら採りどき。時期を逃すとすぐにセカンドクラスになってしまうのだ。


まだ数はあまりなく、色、サイズごとの仕分け&パッキングもすぐに終わってしまったけれど、出荷すべき自分の箱ができたときの感動はひとしおだった。




暑いので成長は早く、ここから2日に1回ピッキングする日々が始まった。

はじめこそ、数コンテイナーだったけれど、ピークとなった6月頭、ついについに私もビンを埋める日が来た!
(巨大コンテイナーのビンは小さいコンテイナーの21個分。)

痩せた枝が目立っていたので、ビンを使う前に収穫が終わってしまうのではないか、と思っていただけに、本当に本当に嬉しくて、夜中にピッキングしながら大興奮。
このときだけは疲れ知らずでハイのまま働いていた。

時に小さいものを入れてしまい、「セカンドクラスはお金にならないから入れちゃだめ!」とダメだしを食らうも、どのトマトも愛しすぎて、地面にぽいっと捨てられない・・。
だって、頑張って育ってくれたんだもん。食べられるんだもん。。

というわけで、セカンドクラスは自分たちで作った路上のショップへ。そのための仕分けやパッキングでも地味にかなりの時間を費やしたが、買ってくれた人がいたのが分かると喜びもひとしおだった。お金が入っていないこともあったけれど、廃棄になるよりずっといい。
自分自身、サラダはもちろん、よくトマトソースを作ったりして毎日本当によくトマトを食べていた。


そうして収穫期はピークに。
広大な敷地を持つエリさんは、12ビン、15ビン・・と出荷、私も嬉しくもビンを埋める日が続く。

大雨が降って、へたの周りにぐるりと丸い傷が発生し、大量のファーストクラスだったトマトが売りに出せなくなった悲しい出来事もあったけど・・・。


同時に疲れもピークに達してきた。夜中の2時くらいまで働いたことも。
途中でさすがに疲れて座り込み、目を閉じた瞬間、意識がぶっ飛んで違う世界へ・・・。はっと我にかえって収穫に戻り、皆が寝静まった家でそーっとシャワーを浴び、数時間寝るとまた仕事開始。ランチタイム30分以外は働きづめ。疲労を和らげようと時間を作ってヨガを試みるも、マットで即効眠りに落ちる・・

いやー、クレイジーな日々でした。


そんなハードな日々のご褒美は、時折、見事なまでに素晴らしい光景に出会えること。
目を疑うほど大きく美しい月の出、夕暮れの赤、ファームを照らしてくれる満月の明るさ、猛暑なのに冷え込む夜明けの沈黙を破る朝日・・・、自然のドラマには癒されまくっていた。




どうにかピーク期を乗り越えたころ、ゆるやかに量は減りっていき・・・

7月中旬を最後についに収穫終了。


最後の重労働は、お役目を終えた木々をおろし、ワイヤーをはずし、スティックをはずしてひもで束ねてたりするクリーニング作業。



そうしてついにシェアファームの全行程が終了、空っぽになった畑を見るのは感慨深かった。


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小さな敷地で少量とはいえ、自分でトマト栽培の全プロレスを行って想うこと。


マーケットの基準の厳しい地で、「売るため」の作物を上手に育てる、というのは本当に難しい!
何せ相手は、自然と命、生きているのだから。

天候、土壌の状態など、シーズンごとに違う状況をよく観察して、自分ではコントロールできない部分に対して、臨機応変にやり方を替えていかないとだめなのだが、何せ経験の無さを痛感。
枝を残して実をたくさんならせようとして大きく育たなかったり、指示されて行った空気を通すための葉取りも日焼けにつながったり、茎が乾燥してきたり・・。
一度エリさんがスプレーの量を間違えて、一部病気になったことも・・。
はじめての体験だったから、失敗&学びの連続。一喜一憂の日々。


そしてマーケットへ売る、ということの難しさ。
プライスの上昇、急降下の変動の激しさは、まさにギャンブリング。例えば突然、オーストラリア内の別の州から、大量のトマトが入ってきた、となると価格は暴落。
その開きといえば約18倍にまでなることも。つまり1,000$で売れたものが、次には78$になっていたりするのだ。

これは私などには読めない。

ハードワークの末、マーケットから送られてきた伝票を見て、「たったのこれだけ~?」、箱代、輸送費を削ると全然残らない・・・と呆然としたり。

よく目の当たりにし、聞かされていたファーマーご夫妻のご苦労、ストレス、疲労も、短期間ながら身をもって体験した。



しかし、そんなことも含めても、この体験は素晴らしかった、と言いたい。


命を育てる、ということは、シンプルに、感動の連続だった。

苗を植え、背が伸び、花が咲き、実がなり、色がつき、熟れた命を私たちが頂き、
その栄養はエネルギーとなって私を動かし、全ては繋がっていた。
自分の育てたものを食べるというのは、何物にも変えがたい味わいがあった。

+面も-面も、全て経験してみないと分からない。

やりすぎてしまう自分のクレイジーな部分も、改めて見つめた。


こんな基調な経験をさせてくれたファーマー、色々と手伝ってくれたエリさんや皆、路上の売店や、どこかのスーパーで買ってくれた人たちに感謝。

効率性重視のビジネス路線は私には向いていないけれど、この時の体験が知識に繋がり、楽しみながら野菜を育てられる機会をメキシコで得たとき、大いに役立つことになった。

それはまた別のお話・・。


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最後まで読んでいただき、有難うございました。

 
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