今日で今年も終わり
 
皆さん、御世話になりました。
 
今年は殆ど寝たきりの生活でした。
 
頭痛が日を増すごとにひどくなり麻薬生活になってしまいまいました。
 
もうすぐですが1月17日から熱海で、検査し異常が見つかればブラッドパッチをします。
 
普通は異常ないといえば、良かったねといわれますが、今の私は漏れが見つかって欲しい
 
これ以上、どうして毎日を過ごしていいか解らない。
 
普通の生活って本当にいいですね。
 
昔の私は死ぬことばかり考えていた。
 
今は前向きに治療して回復への途を探しています。
 
これも私を支えてくれた家族のお蔭です。
 
いろいろあったけどこの家においてもらうだけで感謝です。

 

麻薬もやめる事が出来ました。

 
みんな本当にありがとう。
 
自分史の前に付け加えおきます。
 
2016年12月31日
 
 
 
 
偽りのない自分史がやっとで出来ました。
倒れてから一年以上かけて書き上げました。
泣けて書けなかったのです。
(でも、まだ、私は本当の真実は全て書いていない・・・もう少しかかりそうです)
本日も私は立ち上がる度、眩暈がしてしまうのです・・・
いつ、倒れても言い様に、自分史を残しておかないと・・・
永いですよ。時間のある方、お読み下さい。



         ☆偽りのない自分史☆

私は生まれてから小、中学まで、自分では裕福な生活をしていたと思っていた。
(家庭教師3名付き、ピアノ、習字、エスペラント語教室の毎日・・・
楽しい時間は陸上部で思い切り走っていた時だったかな?遊ぶ友達もいなかった)

そして、親の決めた高校へ入学した。
相変わらず、高校から家への送迎つきで、習い事は続いた。
高校3年の時、私に好きな人が出来たけど、興信所を付けられ、家系に相応しくないと切り離された。
そして、家庭教師に来ている先生と私は、大学を出たら結婚するんだと、母から言われ、
私の人生は、地獄のような日々に変わった・・・

私は何のためにうまれてきたのか?
私には自分で選ぶ人生はないのか?
生きていって楽しい事はあるのか?
・・・と悩み続けた毎日。先が見えなくなりリストカットの繰り返し、多量の薬を飲んだ。
遺書も書いた。でも見つかって、救急車で運ばれ、命は助かった。
命はあっても私は暫らく失語症になった。そんな日々が続き、ふと目の前にあった本。
生活費も授業料も全て無料の看護学校がある事を知り、勝手に受験し家出をした。

そのずっと後になり、私は私生児と知らされた。
父親(今でも良く判らない)には、本家があり、私と同じ年の子もいた。ものすごいショックだった。
両親から抱かれた記憶もない・・・殴られた記憶もない。愛情が判らなかった。

私だけ、昔から名門の一家、三枝家に出入りしていた。(今、思えば、あの方達は異母兄弟)
本家から冷たい目で見られた。
私生児であっても母は必死に私を育ててくれた。母も自分の立場が苦しかったと思う。
今になって判る親の気持ち・・・
私は両親に最期まで「ありがとう」の言葉が伝えられなかった。

私は、結婚をして全く反対の子育てをした。
そして命かけて生んだ子に、ただ普通の子に育って貰いたかった。
母として、命があり、他人に迷惑をかけない人生であってくれば、それで幸せだった。
長男が、去年「生んでありがとう。感謝している」とメールが来た。
私は一番大きなプレゼントを貰った。私が出来なかった事を長男が、私にしてくれた。本当に幸せだ。

幸せな結婚もあったけど、双子の生後一週間目に母が倒れ、介護生活が始まり、母の抱えた借金の取り立て、寝れない毎日・・・精神的に苦しくて、また多量の薬、アルコールで現実逃避する時間を持ち出した。
次男も死んでしまい、生きているのが苦しくて親子心中も考えた。
介護の事で姉妹間もばらばらになり、妹も殺してしまいたかった。
でも、子供を殺人犯の子供にしたくないから、主人にも辛い思いをさせたくないから、私は耐えてきた。
辛い現実から逃げれなかった。母でなかったら、私は、今、獄中か地獄にいるだろう・・・

私は、今、思う。
リスカ、薬より苦しいのは、本当の自分を殺してでも生きていかなければならない事。
私は、殺人、心中を考えた時でも、いつでも笑っていた。馬鹿みたいだ!
本当は、もっと泣き叫べば良かったと思う。
現実から逃げれない苦しみ。本当の自分を殺して生きていく苦しみ・・・本当に苦しくて苦しくてどうしようもない。
生きるより、死んでしまった方が楽な選択です。

本当の幸せって何?
お金があれば幸せ?家族がいれば幸せ?何?

私は職業柄、人生から旅立つ方を何人も看てきた。
穏やかに亡くなる方、最後まで、憎しみを持った様な顔で亡くなる方、自殺してなくなった方、子供を亡くし、いつまでも離さなかったお母さん。幼子,妻を残し癌で亡くなった方・・・辛い現場と隣り合わせ・・・
でも、私は、この歳でも、数人しか満足できる看取りをする事が出来なかった。
心を看てあげる事が出来なかった。

S56年、私に長男が生まれた…可愛かった。今までは自分の命が一番だったのに、子供というのは、もし、心臓移植が必要だったら、替わってもいい程の存在である。
そして次男が生まれた。
たった一日の命だった。私はその次男が亡くなった場をみていなかった。
死が信じられなかった。亡くなった日、私は、呼吸が少なくなり酸素をしていたが、医者の許可もなく、次男の姿を見にいった。冷たかった。抱く事が出来なかった。私の腕の中であの世に旅立たせてあげたかった。今でも次男の事は忘れた事はない。思い出すと、どうして、いつまでも涙がでるんだろう。

そして、再び妊娠し、患者さんの心マッサージ中に子宮出血をしてしまった。流産の手前だった。
もう、死んだ子を思いだしたら、生む事が怖かった。
でも、双子と診断された。双子?…敏樹(次男)が生き返ったかもしれない。辛くてもたえなくては…
そして8ヶ月目に入った7月30日・二人の女の子が私の子宮を破って足を出してきた。
1370と1780g、二人共仮死状態。うぶ声をあげる事が出来なかった。
又、命が亡くなってしまったら辛すぎる。二人は人工呼吸機に繋がれ、2ヶ月をすごした。3ヶ月め人工呼吸器が外されたが、時々、呼吸が止まり、絞った御乳を飲む事も出来なかった事があった。
どんな障害があてっもいい、ただ生きていてもらいたい。

双子が生まれ1週間後、母が脳名出血で倒れ、私は、子育て+介護を始めた。
母は、意識がなかったがかすかに動く左上下肢。24時間の付き添いが必要と言われた。
まだ、産後でべッドからやっとで離れた私が付き添いをする様言われた。
3歳の長男だっている。
でも母を置いて返れない。辛かった。産後でお乳を搾りながら、24時間の付き添いを始めた。
そして双子の生後3ヶ月め、正常体重に戻ったので、退院してもいいですと許可が出た。
母も子も、どちらも捨てれず、私は、三人の子育て+在宅介護+主婦+仕事まで始めてしまった。
辛い日々が沢山。でも忙しいと考えられもせず、がむしゃらに生きてしまった。

当時、福祉の時代で57才の母は、デイ、もちろん入浴サービスも受ける事が出来なかった。
御風呂だけでもいれて貰えたら、どんなに楽になるんだろうと痛感していた。
でも、廻りの方の励ましや協力により、支えられた。

子育て、介護、主婦、看護師として働く日々。辛く、苦しい毎日であった。
でも、現場のスタッフに勇気つけられ私は17年の介護、仕事、家庭を持って続けてこられる事が出来た。本当に皆様に感謝の気持ちで一杯である。
H11年に介護保険法の開始を知った。私が待っていたものはこれだ!迷わずケアマネージャーの資格を手にした。これなら在宅介護を皆と共にしていける。
そして、待っていた介護保健法が始まったH12年、母は、2度目の脳内出血で亡くなった。そして、次の年、父も亡くなった。

私は再び介護を学びたくS病院に復帰した。病棟看護の日々。夜勤の日々は特に辛かった。
仮眠がとれない。もう少し患者さんとゆっくり話をしてあげたいけど、時間がない。
そんな中で、誰にも知られず、命の終末をむかえようとする患者さんが多数いた。
家族さえ間にあわなかった事も多々・・・申し訳ない気持ちで一杯であった。
もっと、もっと、やってあげたかった事が沢山あったのに…いつも悲しさを感じていた私がいた。
管に繋がれた、自分の訴えを伝える事が出来ない、患者さんも沢山いる。
でも手の先でかすかに反応がある。
やっとで座れる食事介助…
やっとで患者さんの穏やかな顔を見る事が出来た。
「生まれた場所に帰りたい…すみれが奇麗なの」っと、遠くを見つめているSさん。Sさんと母が同じに思える。母に出来なかった事をSさんにしてあげたい。
ガン末期で、痛い、痛いとナースコールが頻回で、麻薬も使っているSさん…
どうして、故郷の話をしている時は、どうしてそんな穏やかな顔になれるの?

職場の帰りに私は交通事故にあった。看護師としては働く事が出来ず、私は、又、ケアマネージャーとして復帰した。

大きな御屋敷にいても、「あなたが来てくれると嬉しいの…」こんなに物に恵まれているのに、どうして寂しいのだろう…
お正月明け…子供もいないたった4畳一間で風呂場もなく、リウマチで歩くのがやっとの、一人暮らしのおばあちゃんから電話が入った。普段は生き生きしている。でも訪問すると泣いていた。正月に行けるはずだった甥から、「いつまでもあてにするなと言われて、行くところがなくて、正月中、食べる物がなかったんだよ。あんたにも正月をあげたくて近くにある物を食べてしのんだんだよ」
まわりには、固いご飯粒が分散していた。「どうしてここまで我慢していたの?」一緒に泣いた。

お金、体が元気であれば人は生きて行ける?そうではない。心が寂しい事が人生で一番苦しい事ではないだろうか・・・心が満足していれば穏やかになれる。私はそう思う。

子供たちが成人式の後、私は意識を失った。事故の後遺症で、体が動かなくなってしまった。
そしてまた死を選んでしまった。
朦朧とした日々が続き、急に光がさした。
私に残されている事があった。どうせ捨てた命だ!
もう一度人として看取りのためにもう一度人生かけてみよう・・・
人として生きるため、次の人生に旅立つ時に心寂しくなく、看取ってあげたい。
心が寂しくなければ、穏やかに次の人生に旅たつ事が出来るのではないか…

今の、社会?に失われてきている物がある様な気がする。
裕福であっても孤独、物はなくても幸せである。人の心がかけてきている様な気がする。
本当の幸せって何?お金があれば幸せ?家族がいれば幸せ?そうじゃないよね・・・
心が幸せである事が大切だと思う。
   
            H18年3月10日  あけみ

※生きてく事は、楽ではない・・・
 でも死んでしまえば、先にある幸せがなくなる。
 苦しい気持ちは、本当に判る。
 わたしも自殺したから・・・生きていくのが、まだ苦しい。
 でも、生きていれば、たった一人の人にでも、
 「あなたがいてくれて良かった」と言って貰える日を信じ 私は、自分で出来る事に向かい
 ゆっくりと歩き出している。
   こんな気持ちの人がいたら、一緒にゆっくり歩いていこうよ・・・