ここちゃん良かったね~

変身後の「ここちゃん改」「真ここちゃん」がしっかりと映り込んで観れた。

韓国企画を経て大化けしたもう「亀の子ここちゃん」なんて言わせない!ってくらい重たい大きな甲羅を叩き割っておろし、「やったんで!」「とったんで!」「やったんでゃゃゃ!」バリバリ全開のリバースここちゃんが観れました。

ゲロ吐くアイドルりりぽんのとは違うリバース観だ。

 

これならもう大丈夫。

このここちゃんなら、もう大丈夫。

目標に掲げている握手売りはなるようになるだろうが、AKB的アイドルの選抜メンバーとしては相応しい「スター性」「華たるゆえん」「魅力的な強さ」をついに手にし(はじめ)た。

 

別人みたいになってたね;;;;…こんなここちゃん観たことないで?

 

なんてかつてメンバー(主に先輩)がよく「こんなここちゃん見たことないで」なんてここちゃんいじり的に言っていたけど、内ではなくて外へ向けられた表現力として内木志はついに大化けして次のステージへと進む準備が整ったことを証明して魅せた。

 

結局だから彼女は、自分ができることはしっかりできてそれ以上でもそれ以下でもないという「身の程を弁えた客観性に富んだ女子」だったので、この回のラスト、三田麻央が罰ゲームの時に「え~(笑)え~(照)」なんて若干もたついていたけれど、ここちゃんはそうはならないんだよね。いつだってこの回でやったのと同様に素早くササッとやる。それが面白いかどうかは別にして、「自分はこの程度ですから」って、ササッとやって来た人。何か練りに練って凄いことをするわけでもなく、やらないわけでもない。

亀の子ここちゃんの亀クオリティはある意味で極端にスベルことも無い極端に寒々しい空気を作ることも無い「安定していて心地良い」間とタイミングと空気感を奏でる一方で、突き抜けて何かあるってことにも「絶対にならない、起こらない」という弱点、欠点、短所もあった。

亀の子ここちゃんはその自分の短い手脚で届く範囲をちゃんと自分で理解しているので、届かぬところを無理して手を伸ばして触れに行くことをしてこなかった。

それは逃げていたのではなくて恥ずかしくてできなかったのではなくて、彼女の性格がそうさせていたに過ぎない。すべては、この回の罰ゲーム模様を観れば一目でわかる。彼女のあの躊躇なく飛び出す間合いは常にそうだったし、常にのニコニコ笑顔は照れ笑いの様であって「恥ずかしがり屋さん」ではまるでなかった。

 

須藤凜々花がウサギでピョンピョンピョンピョン跳ねて猛スピードで先へ先へと駆け抜けていく遥か後方を、亀の子ここちゃんは地道に地道に、マイペースに歩んで、中身をしっかり身に付けて、出来る範囲、規模を広げてそうやって若干ずつに速度を上げて、ここまで進んできた。

 

それでー、自分は内木志はそのスタイルでいいのだと、満足しているのだと、何だったら自己プロデュースで意図的に演じているものだとばかり思っていた。なにかこう、惣田紗莉渚の様にあからさまではないものの勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたいという貪欲さ、激しい情熱というものが彼女からは発されていなかったからだ。

それは別に、「私はこの位置で満足でーす😊」って意味ではなくて。大なり小なりのやる気や希望や目標や高みを目指す意識はあるだろう、夢の設置が外であれ内にあるのであれそれは彼女自身の常に日々揺れ動く不安定な心の中で比率変動していればよいことであって、ここでも述べたように大切なことは

それ(やる気や目標や全力感や熱量、気持ち)がちゃんと活動中の言葉や行動となって観る者に伝わるかどうか、非常に身近な内に向けたメッセージではなくて、広く外へ向けられたいくつかの大切な場面でそれが伝わる言動となっているかどうか。

 

別にそれを伝える義務などない、義理も無ければ必要性も無い。

しかし、よっぽど可愛い美人な女子・女性あるいは才能あふれた能力、面白味、魅力を持たない限りは「ほら?私を観ているだけで満足でしょう?私のすることなすことすべてが面白いでしょう?いいでしょう?」とそれだけで得るということはなかなかいかないものだ。

全力でやるし、それだけではない、もっともっと「気持ち込めたる強い思い、意志」が入り込んで観る者に「それ」が伝わる様にすればするほど引き付けるし引き寄せることができる。それは所謂「媚び(売り)」とは違って、現代アイドルたちの「魅せ」と、アイドルオタクらの「推し」とが合致して生まれ出る結果なのだ。

 

それでー、ここちゃんの話に戻すと彼女は亀の子過ぎて「自分の出来る範囲を頑張る」にとどまっていた(これはある意味で身の程を弁えたやり方で、良いと言えば良いのだが…)それ(やる気や目標や全力感や熱量、気持ち)がちゃんと活動中の言葉や行動となって観る者に伝わるかどうか、非常に身近な内に向けたメッセージではなくて、広く外へ向けられたいくつかの大切な場面でそれが伝わる言動となっているかどうか。でみた時やはり間違いなくそれは、「弱い。」「非常に弱い。」

 

それでー、繰り返すと自分はここちゃんはそれでいいのだと、そうやって淡々と、身の程を弁えて出来る範囲で淡々としっかりと熟して、外へ設置した夢「女優業」とか追いかけたり、内は内で後輩育成やもちろん劇場公演頑張ったりして、もちろんみもちろん選抜入りや総選挙やーも、適度に頑張り。

 

彼女自身がそれでいいのだと、自分は思っていたのだが…

 

「握手売り!」「選抜!」「勝ちたい勝ちたい勝ちたい!」

急に、韓国企画Produce48を経て以降の猛り具合が顕著に目立ったここちゃん。

それでこれで非常に大切なことは、口だけで言ってるんじゃないんだよね。

口だけで、まさに身の程知らずの身の丈に合ってないことをわめき散らかして「うち、勝ちたいねん!」って猛んでいるのではない、もともとできる子のここちゃんが、亀の甲羅をおろして、さ~て、ここらでいっちょやったんで!とったんで!って本気になったんだよね。

ついに目覚めたんだよね、内木志は。

重たい甲羅背負ってアイドル活動している場合ちゃうで!

って、ついに、その甲羅を下ろしてぶち壊して、うりゃゃぁぁぁ!!行くぞぉぉぉ!!って、本気で走り出したんだよ。

 

韓国企画前後(ま、後だよね。。)からその様子は薄々と見て取れたものの、この回「さえぴぃのトップ目とったんで!」に出てきたここちゃんをみるに、コイツは間違いなく全力で走り始めたな…と、しかも今まで背負ってた重たいデッカイ甲羅をとうとう背負ってないなコイツ…と、思わずニヤリとしてしまうくらいに「内木志、ついに本格始動のお知らせ」を感じることができた。

 

もう二度と、「亀の子ここちゃん」なんて言えない書けない思えないということだ。

 

 

この展開はまさに元モーニング娘。6期生「亀井絵里」のようで心魅かれる…

 

 

似てる…kame

 

これはちょうど1年前くらいのやらかしりりぽんが卒業するっていうんで彼女の冠番組の後継者を決める「りりぽんのトップ目とったんで二代目トーナメント!企画バトル大会~♪」に出場していたあの日の亀女だ。

 

個人的には、堀詩音か、内木志に勝ってもらって冠番組ゲットしてもらったら、楽しい世界観が描かれて見ごたえあるだろうなぁ…なんて思っていたものの、堀詩音はその対決で神懸かり的強さを発揮して流れが来ていて「これはいける!」という予感が随所に溢れていたけれど、ここちゃんは、上で述べたように、それ(やる気や目標や全力感や熱量、気持ち)がちゃんと活動中の言葉や行動となって観る者に伝わるかどうか、非常に身近な内に向けたメッセージではなくて、広く外へ向けられたいくつかの大切な場面でそれが伝わる言動となっているかどうか。で弱く、また彼女の戦闘スタイル「亀の短い手脚」によって突き抜くて何することなく淡々と、出来る範囲でこなす程度に収まってしまっていたね。彼女らしくていいなぁ~と思う一方で、やはり「とったんで!」「とったんで!」「とったんでぇぇぇ!!。。」の熱き猛りが無ければならなかった。

もう一度言えば「やって魅せるそれだけでいいでしょう?」ってそれだけで得るということはなかなかいかないものだ。よっぽど才能に溢れて魅力的な女性でない限りは。

 

照れているのではない、恥ずかしがっているのではない、物怖じしているのでもない、ビクビク怖がっているのではない、緊張しているのではない、混乱しているのではない、彼女の物静かな淡々とした熟しはまさにデビュー時からずっと変わらずの「亀の子スタイル」でしかなかった。

 

悪く言うつもりはもちろん欠片もまるで無いが、(あくまでAKB的総選挙、選抜入りについてのみ)彼女の順位や評価が今までずっと圏外であった点は、非常に分かりやすいうなずける結果でしかなかった。作り手や黒幕を刺激する魅力に大きく欠いていたからだとはいつかも述べた。

 

 

勘違いしてはならないこと、あか抜けたね、とか大人っぽくなったね、とか明るくなったね

 

とかそんなことはどーでもいい。

外見見栄えなんてどーでもいい。

何度も何度もしつこく書くように

それ(やる気や目標や全力感や熱量、気持ち)がちゃんと活動中の言葉や行動となって観る者に伝わるかどうか、非常に身近な内に向けたメッセージではなくて、広く外へ向けられたいくつかの大切な場面でそれが伝わる言動となっているかどうか。

田舎者のイモだろうがブタだろうが根暗だろうがオタク気質だろうが昏かろうがど~でもいい。…暗いのはダメか。。。

もっともっと、公の場で、たくさん発して、発信して、述べて、伝え込んでいけるか。

「ほら?見て?私やってるよ?頑張ってるよ?みてみて?」

ではない。

しゃべりだ。

亀の子ここちゃんの最大の弱点にして汚点と言ってもよい「しゃべれなさ」「ただニコニコ😊するだけでしゃべらない」という部分を、やったんでぇぇぇ!うりゃあああ!!と韓国企画を経たことで甲羅を下ろして全力で走ることにしたその過程で、ついにその弱点をも克服し(はじめ)たのだ!

 

言霊を使うことで自身のハートを抉り出す。

どんな形のハートなのか、どんな色をしているのか、どんな魅力の詰まったハートなのか。

身内(ヲタら)なら知ってるし~ぃ、とかそんなこと知らんがなにしかならない。

楽屋ではめっちゃしゃべるんですよ~!とか知らんがな。

映り込む大事な場面場面でしゃべって魅せることで広い世界の人々へ伝え込むことができる。それはもちろん、選抜選ぶ黒幕たちにも当てはまるし総選挙でここちゃんに入れるぞ!って選挙民にも当てはまる。モバメでどうしたshowroomでどうした知らんがな。素人発想のレベルでやってる場合じゃない。

さえぴぃのトップ目とったんで!になってから、結構最初の方の回で(たしか…)ゲスト出演していた気がする、その頃はまだ韓国企画なんてやっていなかったから、「亀の子ここちゃん」のままだったね。

それでー、『韓国企画前後(ま、後だよね。。)からその様子は薄々と見て取れたものの…』なんてこれ見よがしに書いたのは、まなぶくんの中のトーク場面で、MCかまいたちを驚かせる今までのここちゃんよりもう少し弾けたここちゃん(改仮)がふと見れたから。

韓国企画は非常に分かりやすいラインではあるものの、その前から少しそーゆーここちゃんの変化(このままではダメだ、今のままでは良くないという気持ちの表れとして)の兆しはあったのかもしれない。それがあっての、韓国企画へのチャレンジと捉えるのが自然であろう。

 

 

 

たろう先生エエわぁ~(笑)

 

ではない。

単に明るい性格になったねとか、トーク出来るようになったねとか、度胸付いたねとか、そーゆーことではないんだよね…すでに述べたようにここちゃんは「できる範囲」で素早くちゃんとしっかり出来てた子だ、もともとから。

例えばSKE48の白井琴望のこっちゃん(ややこしいな…)も、ここちゃんと似たような性格、タイプのように見えるけど、じゃあこっちゃんが明るくなって前に出れるようになってしゃべれるようになれば…とはまた違う。

 

内木志はまさに甲羅を背負っていた…

 

あえてセーブしていた。

「やればできる子なのに…」

ってところ、彼女はあえてセーブし続けてきたんだよね。

例えば極端になるけどあの日加入してきた須藤凜々花が、ぜんぜん、力や魅力をセーブして、絶対炎上しない範囲内で、絶対スベらない範囲内で、絶対誰も傷つけない範囲内で、無難に無難に、普通(手を抜くとか適当とはまた違うセーブ感)に、やっていたら…?

麻雀、ラップ、哲学の話、身内の中ではネタにしたり盛り上がってもそこだけで。

もっと行けるじゃん!

もっと発信しろよ!

りりぽんならもっとできるよ!

って、秘めたる魅力や実力を備えていながらにして、セーブして無難で落ち着いていたとしたら?

そんなりりぽんが、じゃあいよいよ急に、どうした?ってくらい急に、しゃべりだしてアピールして前に出て来て発信するようになったら、お?って、やっぱり誰もが心に刺さってくる。りりぽんいよいよ本気モード突入か?って。面白くなって来たぞ~って。身内に向けてじゃない、外へ向ける力があるからこそ、面白くなるのだ。

こっちゃんが中身空っぽとかそ~ゆ~ことではなくって、内木志のセーブしてきた「甲羅おろし」が面白いんだよね。面白くなる予感をさせられる。ついにか!?って。

こっちゃんはこっちゃんで甲羅的セーブではなくて上へ上へ積む系だろうから、ここちゃんとは違うんだよねタイプが。

 

こーゆー、内木志的な甲羅系アイドル女子のタイプ、他に誰がいるだろう?

あんまりいないような…なかなか見当たらないものだ…

AKB48の佐藤のきーちゃん…彼女もこっちゃん同様の積む系で甲羅も何も背負っちゃいない。

NGT48の高倉さん…甲羅かどうかちょっと難しい…憑依芸に気付いてスイッチの切り替えタイプだと思うので甲羅ではない気がする…甲羅だとしても彼女の場合、甲羅を背負ったままの方がおそらく良いだろう。あくまで彼女が手にするべきはオン・オフの切り替えスイッチで随時化けたり隠したりして魅せてくタイプでそこに甲羅という枷(かせ)があるのであればより面白くなる逸材。

NMB48の三田麻央きゅんも積む系だった。木下百花という暴君に打ち勝つことで、強くなって変身できた。

 

だからこれでやっぱり真っ先に思い当たるのが元モーニング娘。の亀井絵里で、当時加入してからそろそろ3年目だという場面で、16、17歳の彼女の大化けに化けた大変身は、ただ自分が後追いで見て「すごいよね~」と言いたいのではない、あるいは当時のヲタらがそう評価しているのを真に受けてつられているからではない、観れば誰もが分かるレベルで大変身を遂げ大活躍しているのみならず、当時の先輩や同期のほぼすべてのメンバーたちも「亀キャラ変わり過ぎだろwww」を散々指摘していたし、いくらかの大人たち(スタッフ勢)もそう述べたことを間接的に彼女たちのラジオトークなどで披露されることもあったし、さらには当時プロデューサーを務めていたハロプロキングでモーニング娘。の生みの親でもあるつんく♂Pですら、「亀井、変わったよなあ(これはあくまで称賛とかではなくて、ただ単に大きく変わったことを指摘するにとどまっている)」と述べている点からしても、絶対間違いなく化けたんだよね、亀井絵里は。その化け感は単なるあか抜けたとか大人になったとか性格明るくなったね~とか髪変えたねとかそんなレベルではない、大変身だった。

亀井絵里が秘めたる才能や能力や魅力は、化ける前からすでに「秘めて」いながらにして、それが外へ伝わるレベルで炸裂するためには「化ける必要があった」ということだ。

変身を遂げた亀井絵里改、真亀井絵里無くして、あの日のどん底期の暗黒期と呼ばれたしかし光り輝くプラチナ期のモーニング娘。での大大大大大活躍ぶりは、あり得なかった。

まるでこうなること(モーニング娘。の人気の大落下)を予想していて、あえて彼女は先に先手打って化けたのかもしれない…なんてありえない妄想をしてしまいたくなるほどに、亀井絵里の化けは絶妙のタイミングだったし、遅くても、化けれなくてもまずかった。どん底期の暗黒期に備えて、スター候補生として亀井絵里は光り輝き目立ち活躍する下準備を素早くやってのけていた。

 

 

ま、なんであれ、だ。

 

ここちゃんの化けは遅かったかな~…というとギリっギリのところだろうか?

間に合って良かったねという安心感と、ついにようやくいよいよかという期待高鳴る気持ち。

今の彼女が変にブレずに「やっぱ芝居いきま~す😊」って道を逸れないのであれば、NMBで輝きたい!NMBで一番になりたい!白間美瑠さんを倒したい!勝ちたい!NMB48でやったんで!とったんで!の強い気持ちを持ち続けて今の勢いのままで突き進むのであれば、とりあえずは一安心だ。まずは黒幕の大人たちを突き刺してやればいい。

 

それでこれで足を引っ張る問題児はNMBヲタらであって、与えられるしか能のないアイドルを推すことの意味を心得ていない彼ら問題児が、内木心のやる気元気内木をどれほど推し上げてやれるかどうか…。

 

御籠りオチで終わるわけにはいかないんだ!

その重たい甲羅を脱ぎ捨て今ついに内木志が全力で駆ける仕草を魅せた。

※これに関しては遅せーよと、言ってしまっても問題ない。今さら遅せーよと、今さら何言ってんだよと、内木のくせに遅せーんだよ、と。確かに遅いよ、5年6年目でやっとかと。しかし大切なことは、内木志は「声優になりまーす」って言ったんじゃない「ドラクエやりま~す」って言ったんじゃない「やったんで!」「とったんで!」「とったんでぇぇぇゃゃゃぁぁ!!」と猛んで中身を伴った強力な光を以って伝え魅せたのだから、やるしかない。ここちゃんも、ヲタらも。

 

述べたようにアイドル側の媚びではない。

 

お金の損得でやるオタク業でもない。

 

現代アイドルたちの「魅せ」と、アイドルオタクらの「推し」とが合致して生まれ出る結果がどうなるのか。

 

「SKEに来てればよかったね」

「NMBはやっぱダメだね」

 

蔑まれないで上手く内木志を高く掲げてやれるかどうか。

 

SKEの無様だがしかし素晴らしきオタクらが

 

菅原や…えー…おーちゃん…名前忘れた。。。あの辺を素早く掲げ魅せたように。

 

たった一回の54位で木っ端みじんに散る志としてはならい。

 

内木志が選抜に選ばないのは、運営が悪いんじゃない

 

運営に見る目が無いのではない

 

ということだ。