初めての発症は
中学校の修学旅行での過呼吸の発作

サンシャイン60の展望台の
エレベーターの中から
吐き気とか気分の悪さから始まり

展望台の椅子で気持ち悪過ぎて
休んでたら
勝手に涙出て全身痙攣起こしてました

養護の先生が横で色々してくれたけど
吐き気も震えも酷くなる一方
(いつ呼んでたんだろ)

救急車で病院に運ばれて点滴してました

Dr.:神経質な子に多いんですよ
精神的なものかな?
養護の先生:え?神経質?
この子に限ってナイナイ!(大爆笑)

私の心の声:先生、言い過ぎチーン

その日も次の日もホテルの一室に監禁
同じように行程のどこかで
過呼吸起こした子と
同室で
少し気楽だった照れ

でもその子は軽症?
で翌日外出許可出たのに
私、遊園地の日に限って監禁チーン
え、割と唯一の楽しみじゃん?
ってか彼ピに会えない...。
(。•́ωก̀。)…グス

流石に可哀想って事で最後の30分だけ
合流させてもらいました
乗り物乗らない約束でチーン

乗り物乗れない遊園地...。
(何するん?)

で、地獄だったのは帰宅後。
頭軽くオカシイ母親に
不貞行為を疑われる
(する暇あるかボケ)

そして病院で散々検査されるチーン
(他の病気を除外してこそ、の
パニック障害の診断になるんですよ)

不整脈が見つかる
不整脈の拍子が三拍子で
流石ブラバン部長やなあ笑い泣き
と養護の先生またもや
私に爆笑
(この先生、私と仲良いからって
遠慮がなかったムキー)

そもそも先生?
仲良くなった理由考えて?
私が伸びない身長気にして
毎度身長計借りて測ってたってこと
知ってるよね?

(今考えたら神経質よね?私キョロキョロ)

なんで爆笑されなきゃいけなかったんだ
(確かにどーでもいい事は
適当にしてたんだけども←だらしない)

当時は過呼吸症候群ってことで
片付けられたんですけども

振り返ると
高所恐怖症(しかも割と酷い)
落ちる系特にダメ
(散々悪夢にうなされる人) 

あー、なんだ、
高所恐怖症かあ!

随分遅れて気づいた私(バカ)

しかしその後も
高校生活や日常生活で
何度か号泣しながら
過呼吸を起こした事があり...。
自宅でも
ODとか色々やらかすんですが

成人しても
ストレスが溜まると
過呼吸を起こし...。

何度か症状は出てました
必死に訴えても伝わらない時代で
困ったこともあったかな…

長男の産後は産後うつになったのか
過呼吸も酷いわ
泣き続けるわ…
(元旦那が悪い←出産入院中に浮気するか普通?)

流石の旦那もギブアップ
すんのは良いけど
勝手にお前の母ちゃん呼ぶなや
(またストレス溜まる)

仕方なく別居の道を早々に選んだ私
(早すぎるなあw)
長男まだ半年なってないww

まあ、保険証とか更新で必要になって
お金は持ってた旦那なので
仕方なく、一旦戻るんですがね(ゴニョ)

この時から自分では
鬱とパニック障害については
ちょっと疑い始めてました

しかし精神科の壁は
当時の私には見上げても
高さが分からないくらい
かなり高くそびえ立ってて

行く事はなかったんですよね。
(内科にはめちゃくちゃ通いました)

正式に診断を貰ったのは
なんと、数年前ですw

抑うつ状態で過呼吸起こしまくってても
パニック障害とは診断されませんでした
(抑うつが酷かったからかな)

今も割と酷いですがゲロー
(てんかん止め飲んで止めてます)

初めて精神科の門を叩く
きっかけになった
1週間も眠れなかった不眠症
からの
過呼吸の発作は
車のクラクションもダメ
大きな音にとにかくビビる←ダメ
小学生の息子にしがみついて外出
(広場恐怖まで出た)

色んな薬試してもダメ
悪夢とフラッシュバック祭り滝汗
食欲も減る一方

通院時にバスに乗るのも恐怖との戦い
とにかく、どんどん外出が怖くなる
悪循環しか無かった事がありました
(実母からのストーカーも
この頃にありまして余計に悪化します)

奇跡的に一時期でも
私を救ってくれたのは

末っ子を8年ぶりに妊娠したこと
でした

みんなにこの末っ子の娘
幸せ持ってきたとか
私の元気全部持ってったとか
色んなこと言われることになりますw
(す、すまんのう娘よ)

まず、悪阻が3人中1番酷くて
外気の排気ガスの臭いすらダメ
水すら吐くので薬も全く飲めない

勿論体重も更に減る。

で、当時かかりつけの婦人科は
産科はしてなくて
漢方に精通してる先生だったんだけど

ただひたすら反対したウチの親と違って

それまで抗うつ剤や安定剤に睡眠薬まで
飲んでいた私を全く否定せずに
自然に任せましょうニコニコ
お薬も無理に飲まなくて良いです

積極的に流産を止める治療はしません
流産の原因の殆どは
遺伝子異常なので
薬の影響が有るとすれば
安定期前に流産する筈ですニコ
この事だけに同意して
それでも育てる!と言うなら精一杯
一緒に頑張りましょう爆笑

当時、ただの胃炎だと思って
嘔吐しまくってたのに
全く悪阻に気付かなくて
妊娠に気付いたのは
既に母子手帳貰わなきゃいけない
9週目頃www
(ガッツリ避妊してたんですよ)

エコーで赤ちゃんの心音どころか
心臓も
身体も出来てて
涙目で感動しながら見てたのを
未だに覚えてます

スゴい!赤ちゃん生きてた!
めっちゃ一生懸命生きてる!
それだけで頭がいっぱいになりました
お願い感動に浸る私

そのあとの悪阻地獄なんて考えずに
産む選択しか考えてませんでした
(マスクで臭いを防ぎながら
点滴に通った日々が懐かしい)

流産経験もあり、
切迫早産も経験済み
そしてうつ病罹患中と、
ハイリスク妊婦扱いで紹介状
書かれるんですがね(白目)

ここで急な断薬をするしかなかった事は
後から相当なツケを持ってくることに
なるなんて...。

当時は考えても見ませんでした。
やっぱり抗うつ剤の断薬だけは
ゆっくり時間をかけないとダメなんだなと
去年の出来事も含めて
自覚し直しました

まあ、身体が言うこと聞かない時は
仕方ありませんけどねー笑い泣き

そんな娘ももうすぐ小学生
元気にお利口さんに育っております
(そして結構私に似てる滝汗)

こんな私でも
毎日ママ大好きー!
と今でも伝えてくれます

幸せ照れラブ

本日もリボトリールが効いてきて
落ち着いてきましたぐぅぐぅ

5時に起きちゃったから
二度寝しようかなあ
( ˘ω˘ )スヤァ...。