「あの頃、モデル大賞というのがあってね、実はアレね、俺が賞を決めていたんや」と、
火星人さんはおっしゃった、
関西地区では当時、「モデル大賞」なるものを決めて、その年に模型店に貢献してくれたプラモデルを決めて、メーカーを表彰していた、
その「モデル大賞」なるものを設立した意図、狙いなどが次の記事にて紹介されている、
火星人(多田茂数)さんの5年前からの腹案だったという、
(昭和42年10月9日 日本模型新聞)
「モデル大賞」 一番儲けさせてくれて、アイディア、内容の三拍子揃っていたもの、
「プロフィット賞」 内容はそこそこで、客からも苦情はあったが、よく売れて儲けさせてくれ
たもの、
「テクニック賞」 大ヒットはしなかったが、品質、設計、組み立ての完成度等々、自信を持
って客に勧められたもの、
「フロンティア賞」 ヒットはしなかったが、斬新的なアイディアで客の購買意欲をそそり客層
を広げた新製品のもの、
一言で言うと、模型店を儲けさせてくれて、またこれからも儲けさせてくれそうなプラモを作り
出してくれたメーカーを表彰しようということ、
それは、昭和42年度の製品から始まった、
その結果が次の記事にて紹介されている、
(昭和43年2月12日 日本模型新聞)
この「モデル大賞」は回を重ねるごとに模型業界としては権威?ある賞に発展していったようで、表彰の際は各メーカーの社長を大阪まで呼びつけて表彰式を行っていた、
「モデル大賞」はいつまで続いたのであろうか、
火星人さんが「火星模型店」を廃業した昭和53年頃には「モデル大賞」は消滅したのかもしれない。