すでに紹介しているように、大正時代から戦前までには多くの科学雑誌が出版されていた、
それは、子供の頃から欧米に負けないほどの科学的な知識をつけさせ、ゆくゆくは科学者を育て上げそれが軍事兵器の開発に繋がるものと考えられていたのだろう、と僕は勝手に妄想している。
戦前までに出版された科学雑誌は一体どれくらいあったのだろうか、
それを確定させるのは今となっては難しい、おそらく40種類は超えていたのではないだろうか、
しかし、それらのほとんどは短命に終わった、早いものは1年で、大体が数年で終わったものが多い、当時の代表的な月刊科学雑誌で代表的なものとしては「科学画報」、「科学知識」、
そして「子供の科学」だろう、
それらの中で今も出版され続けられているのが「子供の科学」である、
それ以外のほとんどが廃刊となってしまった、
今は何冊くらいの月刊の科学雑誌が出版されているのだろうか、
ハッキリ言って、僕は「子供の科学」くらいしか知らない(笑)、
いや実は最近の科学雑誌というものはあまりにも高度で僕の頭ではついていけないのである、
さて、戦前の科学雑誌で短命に終わったもので「科学の日本」がある、
これがなかなか収集するのが困難で、今までに集めたのがこの15冊となっている、
昭和8年8月が創刊で、実はいつに廃刊になったのかは特定できていない、
ある科学雑誌に関する研究論文では翌年の昭和9年には廃刊になったとなっているが、昭和10年新年号のものを僕は持っているので、昭和10年中に廃刊になったものと推測される、
次が創刊号となっている、
次にこの「科学の日本」を創刊した意義などが書かれている、
目次を見てみると、
他の号の目次を見てみると、
これらのように、内容は科学、軍事、模型工作、医学、理科等々、多岐にわたっている、
今読んでも非常に興味深く読むことができる。
そう、昭和初期からの模型の歴史を知るうえでも貴重な資料となっている。
そうそう、それから最近のニュースでネス湖のネッシーの捜索のことが報じられている、
ネッシーの歴史は古い、
この「科学の日本」でもそのことが記事に書かれている、
昭和9年5月号の記事の中で、
ネッシーそのものを未だに見たものはいなく伝説的なものとして、その存在は否定的である。