黄金週間に

黄金の人生とは何か

観じてみては如何でしょうか四つ葉(。-人-。)四つ葉



地上に降りた今の時は、
あとで取り戻したくても取り戻せないほど
貴重な時の価値を持っている。

今できることを、永遠の魂の中で
地上で修行できる時はほんとうにわずかな時である。


わたしにしても、天照大神にしても
地上で転生している時というのはほんとうにわずかな時である。

であるならば、
そなたたちにおいても同じなのである。


長い、長い永遠の魂の中で、
そなたたちが今この地上に肉体を持ち
自らの魂を成長し、進化させ、学べ、
そして多くの者たちのために
そしてそれ以上に神の使者として、
天上界の意向を受け
その仕事ができる幸せに浴している、
そのような貴重な瞬間は
これからの転生の中もそうはないかもしれない。


それにしても、
この地上の時の一瞬一瞬は
黄金でできた時のような意味を持つ。

そのときに、
「無駄な生き方をするな」とわたしは言いたい。

ほんとうにあっという間の数十年であるとわたしは思う。


毎日毎日が平凡なことの繰り返しであり
また今日のように明日が、
明日の次に明後日が、
一年後が、十年後が
永遠に続くかのように
そなたたちはこの地上の時を生きているかもしれぬ。


でも、そうではないということ。

いつか必ずや死というものが訪れ、
そなたたちは地上の仲間たちから
家族から別れて我々の世界に帰ってくる。


それはすべての者において平等であり
ひとつの真実として、
システムとしてあるということ。


であるならば、
残された黄金の時を
月日をどうやってそなたたちは生き抜くか。

今回のように
特に歴史的な
ターニングポイントにあたるような時代を生きているそなたたちは
この黄金の日々をどうやって生きるか。

世間の者たちの価値尺度に合わせ
そこに恥ずかしくない、
そこに成功していくような
そういう生き方をしながら、
最後まで生きる
まあそれもそなたたちの自由かも知れぬ。


でも、その黄金の日々を先ほど、
病気になるというたとえでも話したが
いちばん大事なことは、
神の子としての神性、
あなたの魂のうずき
それとずれず、ギャップを起こさずに、一体となって生きる
そのぐらいのストイックな勇気がある生き方、そのようになった時
本来の神の子としてのあなた方と
地上であなた方が行う、
振る舞う行いが一体となる。


そのような生き方をしてみせたのが
最近で帰天した中では
マザー・テレサと呼ばれている方がおられるであろう。


あの方は、
地上に降りた神の子としての彼女の魂と
地上に姿を持っているその肉体の振る舞いが、言動が、すべて一体となった
ずれのない生き方をした方
それがマザー・テレサのような方であったとわたしは思う。


であるならば、
そなたたちがそなたたちの光を最大限に発信するには
天上界の意向のために自己を犠牲にして不本意な生き方をするのではなく
そなたたちの神の子としての神性のそのうずきに
地上の肉体を持ったそなたたちが一体となる努力をして
そなたたちのオリジナルの
そなたたちでしか出せぬエネルギーと愛を地上に広げて
発散して生きて行くこと、
発信して生きて行くこと
それこそが最大の神のメッセンジャーヘの道であるということを
わたしは言っておきたい。


そなたたちの中にある、
そなたたちの魂の奥底にある力
魂の深いところにある、
神の子としてのそのハート、エネルギー、力。


それは、
天上界にあるそなたたちの、大いなる知恵を宿す
天上界にある叡智のエネルギーとつながっている。


そこと一体になることにより
地上にいるそなたたちの力がますます力を持ち
そなたたちのオリジナルの光を地上に発信するのである。


それを引くには、
神の子としての本心に、
正直に、忠実に、勇気を持って
地上の生ける神の子として、
そなたたちが振る舞い出した時
すべての者たちが地上に生きる仏陀となり、
覚者となっていくであろう。


何かの修行の方法論があるわけではない。

仏教ではそのようなものを、
いちいち段階をつくっていくが
日本神道では、
ただただ自然と一体になることにより
神の子として、神の使者として、
大自然に流れる
神の愛のエネルギーと一体になることにより
そなたたちが本来の自分の力に気づけよ、
本来の愛のエネルギーに気づけよ。


そしてその絶対的なる光と愛のエネルギーに忠実に生きることにより
疑いのない神の子としての力を発散し
幸せを多くの人びとにもたらすことのできるような
そして本人も幸せに満ちて生きるような、
そのような生き方をせよ。


それこそが神が望まれる神の子の姿であり
神がわたしたちに期待されているその姿であると
そのような生き方を一人ひとりがしていった時
この地上は、この地球は、
神の国ユートピア
楽園となっていくであろうということを謳ったのが
光一元の、神の子の思想である
我らが日本神道の教えにあるのである。

これを我々は世界に広めていきたいと思う。


「日本神道」ではなく、
「日本」をはずした「神道」と呼ばれている、この光一元の思想。

それはけっして無理のない生き方だし、
難しいことを知らねばならぬ
論理的なものが入ってなくて
そして特定な難しい肉体行がなくては
一部の者たちだけしか悟り得ないような道しかないとか
そういうものではないということ。


大自然から学ぶ、
謙虚な、謙虚な姿があれば
あとはあなた方が持っている力を
あなた方の正直な、
嘘のつけない本来の魂に忠実に生きるということが
あなた方を、神の子の道を、
そして悟りの道を開いていくのだよ。


そしてそれこそがこの地上をシンプルな形で楽園にしていく
天国にしていく姿の道標なのだよということを
大自然と一体になることにより教えてきたのが
わたしたちの教えでもあったのである。


だから、日本神道は、
すべてにおいてシンプルであり
多くのものをゴタゴタ使うことを嫌がってきた。

そして、
大自然の中のすべての生きとし生けるもの
すべてを神の子として讃え合うという、
そのような姿をもって教え
我々がすべてそのような大自然から学ぶ姿をもって
教えの道に悟れということで、
難しい教義を残さなかったのである。

そこに日本神道と呼ばれている、
光一元の思想の神髄があるのである。


まあ、それ以外のキリスト教には素晴らしい愛の教えがあり
仏教には仏教の教えがあり
それぞれの宗教と呼ばれているものの中には素晴らしい教えがある。


そしてそれをまた学ぶために、
永遠の転生の中で
そなたたちはいろいろな教えを学んできたはずである。

魂の幅を広げていくために
そなたたちは過去世、
十分な転生を積んでこられたと思う。


そしてそれが今ひとつとなっていく時
そなたたちが最後の救世の計画を降ろす場所が
この大調和を謳う、和の国、日本で
この最終的な神の計画が実行されるという
その意味を深く考えなくてはいけない。


様々な宗教が乱立し、
様々なイデオロギーが出て
学問や哲学を含めて様々なものが、
地上にいる人類たちに提供され
すべてを学び尽くしていった時に、
最後にそのすべてを包んでいく
大調和し、神の懐のもとに、
ひとつにまとめあげていく和の心、調和の心
それを神の名のもとにおいて実現する国が
その日本の国であったということ。


その意味をもちてこの日本という土地を選ばれ、
そしてその国民性、国の風土
そしてその個性というものが我々に託されて
日本神道というものをつくってきたのである。


それぐらい気が遠くなるほどの長い時を、
我々はこの最後の文明における
救世の時のためにこの日本の地を用意してきた。

その思いがあればこそ
けっしてあきらめぬという我々の思いがある。

(2006.10.14 レムリア・ルネッサンス)