進学を諦めた時…

私は夜の校庭の隅で泣き続けた…


そして
その時に決心した


必ず社会で成功する!!
社会的地位を得る!!と…

そうすれば差別される事もなくなる…


定時制の卒業文集に経済と精神の自立を目標に頑張ります!と書いた…


保育士は諦め、新たな目標に向かって生きる決心をしていた矢先に母が出所して私を探し始めた


あちこちに電話をして「かずよを知りませんか?」と
尋ねていた…

その時
母は…
酔っ払っていたらしい…
尋ねられた人達は
私をかばって「知らない」と答えてくれた


私は二十歳になっていて自分の人生を自分で歩きたかった


母とは刑務所で
会ったのが最後で…20年間会っていない…


この20年…
試練は沢山あった
それを乗り越えられたのは、幼い時の経験や母との生活での経験が知らず知らず私を強くしていた
そして何よりも幸せになりたかった



そしてN先生の支えや子供達が私を支えてくれた


目の前が真っ暗になった時にも夫は私の成功を信じて支えてくれた


そして瀬戸口コーチとの出会いから

さっち、ミサリンと出会い


福岡、愛知、東京、長野…


沢山の人と出会い
愛され

今…本当に幸せに生きています


母には心から産んでくれて「ありがとう」 と思っています


母に何かあれば力になろうとも考えています


これからの人生をもっと前進し素敵を創り続けて行きます


経歴は今日で完了と致します
二十歳以降の事は
また
書いていこうと思っています


皆様
長い長いお話しに
長いお時間お付き合い下さり
ありがとうございました


苦しみの先には光があるキラキラ


雨が降っても必ず晴れる晴れ


転んでも起き上がればいいアップ


自分が幸せになってもいいドキドキ


人は生まれてきた時から全ての人に価値があるクラッカー



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明日も素敵です虹