https://www.youtube.com/watch?v=1IWqyrUmWg8

 

 

 

 

 

愛撫

梶井基次郎

 


 猫の耳というものはまことに可笑しな

ものである。

 

薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮の

ように、表には絨毛が生えていて、裏は

ピカピカしている。

 

硬いような、柔らかいような、なんとも

いえない一種特別の物質である。

 

私は子供のときから、猫の耳というと、

一度「切符切り」でパチンとやってみた

くて堪らなかった。

 

これは残酷な空想だろうか?

 

 


 否。まったく猫の耳の持っている一種

不可思議な示唆力によるのである。

 

私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあ

がって来た仔猫の耳を、話をしながら、

しきりに抓っていた光景を忘れることが

できない。

 

 


 このような疑惑は思いの外に執念深い

ものである。

 

「切符切り」でパチンとやるというよう

な、児戯に類した空想も、思い切って行

為に移さない限り、われわれのアンニュ

イのなかに、外観上の年齢を遙かになが

く生き延びる。

 

とっくに分別のできた大人が、今もなお

熱心に

 

――厚紙でサンドウィッチのように挾ん

だうえから一思いに切ってみたら? 

 

――こんなことを考えているのである! 

 

ところが、最近、ふとしたことから、こ

の空想の致命的な誤算が曝露してしまっ

た。

 

 


 元来、猫は兎のように耳で吊り下げら

れても、そう痛がらない。

 

引っ張るということに対しては、猫の耳

は奇妙な構造を持っている。

 

というのは、一度引っ張られて破れたよ

うな痕跡が、どの猫の耳にもあるのであ

る。

 

その破れた箇所には、また巧妙な補片が

当っていて、まったくそれは、創造説を

信じる人にとっても進化論を信じる人に

とっても、不可思議な、滑稽な耳たるを

失わない。

 

そしてその補片が、耳を引っ張られると

きの緩めになるにちがいないのである。

 

そんなわけで、耳を引っ張られることに

関しては、猫はいたって平気だ。

 

それでは、圧迫に対してはどうかという

と、これも指でつまむくらいでは、いく

ら強くしても痛がらない。

 

さきほどの客のように抓って見たところ

で、ごく稀にしか悲鳴を発しないのであ

る。

 

こんなところから、猫の耳は不死身のよ

うな疑いを受け、ひいては「切符切り」

の危険にも曝されるのであるが、

 

ある日、私は猫と遊んでいる最中に、と

うとうその耳を噛んでしまったのである。

 

これが私の発見だったのである。

 

噛まれるや否や、その下らない奴は、直

ちに悲鳴をあげた。

 

私の古い空想はその場で壊れてしまった。

 

猫は耳を噛まれるのが一番痛いのである。

 

悲鳴は最も微かなところからはじまる。

 

だんだん強くするほど、だんだん強く鳴く。

 

Crescendo のうまく出る

――なんだか木管楽器のような気がする。

 

 


 私のながらくの空想は、かくの如くに

して消えてしまった。

 

しかしこういうことにはきりがないと見

える。

 

この頃、私はまた別なことを空想しはじ

めている。

 

 


 それは、猫の爪をみんな切ってしまう

のである。

 

猫はどうなるだろう? 

おそらく彼は死んでしまうのではなかろ

うか?

 

 


 いつものように、彼は木登りをしよう

とする。

 

――できない。

人の裾を目がけて跳びかかる。

――異う。

爪を研ごうとする。

――なんにもない。

 

 

おそらく彼はこんなことを何度もやって

みるにちがいない。

 

そのたびにだんだん今の自分が昔の自分

と異うことに気がついてゆく。

 

彼はだんだん自信を失ってゆく。

 

もはや自分がある「高さ」にいるという

ことにさえブルブル慄えずにはいられな

い。

 

「落下」から常に自分を守ってくれてい

た爪がもはやないからである。

 

彼はよたよたと歩く別の動物になってし

まう。

 

遂にそれさえしなくなる。

絶望! 

 

そして絶え間のない恐怖の夢を見ながら、

物を食べる元気さえ失せて、

 

遂には――死んでしまう。

 

 


 爪のない猫! 

こんな、便りない、哀れな心持のものが

あろうか! 

 

空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆

に陥った天才にも似ている!
 

 

 

 この空想はいつも私を悲しくする。

 

その全き悲しみのために、この結末の妥

当であるかどうかということさえ、私に

とっては問題ではなくなってしまう。

 

しかし、はたして、爪を抜かれた猫はど

うなるのだろう。

 

眼を抜かれても、髭を抜かれても猫は生

きているにちがいない。

 

しかし、柔らかい蹠の、鞘のなかに隠さ

れた、鉤のように曲った、匕首のように

鋭い爪! 

 

これがこの動物の活力であり、智慧であ

り、精霊であり、一切であることを私は

信じて疑わないのである。