クローズド・サーキット・テレビジョン -2ページ目
前回マクドナルドの値上げについて書いたが、それよりもっと大きな問題がある。

なんて大げさに言うほどのことではないかもしれないが、ハンバーガーの出来の酷さについて。マニュアル通りに作れば、基本的にそんな繊細じゃないからほぼ同じ味のものができる。しかし、出来上がったものの形が酷いのだ。包み方が酷いのだ。

ビッグマックやマックグランなどの「高さがある」ハンバーガーの場合、まず包む前にちゃんとした形になっていないことが多い。肉焼いてチーズ乗っけるから、それがずれると修復できない。チーズが溶けるから。ということは移動中に崩れたということではなく、作った段階でずれているのである。

高さがあると乗っけるものが多いので、少しずつズレて、最終的なできあがりがものすごいことになる。食べにくいのは高さの問題じゃなくて作り方の問題だ。ピクルスがまるっきり外に出ているのは包むときの問題だろうが、そもそも中心に置いていないから飛び出すのだ。

また包み方についてだが、包むというよりも丸めてる?という感じのことも多い。あれはちゃんとマニュアル通りにやれば崩れにくくもなるのに、もう全然できてない。急いでやったからとかたまたま不出来だったからということではなくて、たぶんできないのだろう。

以前から特定の店舗ではそういうこともよくあったが、最近では多くの店舗でそのようになっている。たかがハンバーガーでうるさいな、と思われるかもしれないが、ちゃんとしてるときもあるから、そのギャップで腹が立つのである。文句ジジイみたいだけど。
1ヶ月ぶりに書く、という記事の次が二ヶ月ぶりという事態だ。まあそんなもんです。

マクドナルドが値上げ 収益減で低価格戦略見直し

なんか迷走している感じですね。しかしこんな戦略云々は抜きにして、都心部のマクドナルドは客多いよなぁ。時間つぶしとか「早いから」という理由ではなく、マクドナルドが好きだから、という理由で来ている客が多い気がする。

今はもう大人でもマクドナルドのハンバーガーが子供の頃から慣れ親しんだ味になっているのだろう。そういう私も突然食べたくなる時がある。

外で昼時に一人で食べる、ということになると「ちゃんとした店」を敬遠したくなる気持ちもある。まあなんか寂しいしね。そんでマックとか吉野屋とかラーメン屋を選ぶのだ。

で、「低価格戦略見直し」についてはそれで収益がどうなるか見守りたいところ。実際昼時に食べるとなると何故かセットメニューが嫌いな私は結構な金額になってしまうことが多い。だから100円だとかどうとかのCMには全然関心がない。客単価が上がって収益を維持または上げることができるのならそれでいいんじゃない?と思う。

最近は昼時にはとても入れないほど込んでることが多いし、それでも無理矢理入ると「ちゃんとした店で一人」よりさらに侘しい気持ちになるから、吉牛のほうが多いかな。まあどっちにしても侘しい昼食事情だけど。
前の記事で「気楽に書ける」などと書いたが、blogなんてもちろん頼まれて書いているわけではないし仕事でもないわけだから、本来は気楽なもの、なはずである。一般的には単なる趣味みたいなものだから、嫌なら書かなければ良い。

ところがそうもいかないのは、たとえものすごく少数ではあっても、不特定多数の人が見る(読む)ということは前提にして、記事は書かれなければならない。だからどんなくだらないことを書くにしても多少は気を使うし、コメント欄での交流がさかんになればなるほど不特定&特定の人に対して自分のその記事がどのように読まれるのかということは考えるようになる。

また、もともとちょっとした思いつきで書く程度の記事内容なのに、そのようなことを考えながら書いていったりすると、なんだかあえてわざわざ言うようなことでもない幼稚な正論になりやすい。

これが何か特定の分野についてのblogであれば、その分野の事を知らない人にとっては興味のあることかもしれないし、幼稚な正論であるほどかえって初心者にはわかりやすい、ということもある。「ニュース・バラエティ」ジャンルで何かを書くというのはそういった正論以上の何か、独自の視点なり文章上のユーモアだったりというような何かがないと人の興味は惹きにくい。

なんてことを考えていると、これってわざわざ書く(言う)ようなことかな~、などと思ってしまい、書きかけで記事投稿をやめることもある。そのような意味で「気楽に書けない」というような気にもなり、具体的な特定分野のことやそれこそまさに日記、みたいなもの以外は最近書いていなかった。

さらについでに言えば、blogであんまり「blogを書くこと」について書くことは控えていた。始めた頃はいろいろな発見があったから書きたいこともあったのだが、それはblogを書き始めた人が一度は通る道、ということで他の人にはあまりおもしろくないかなと考えてできるだけ書かないようにしていたのだ。まああとはなんかカドが立つというか人に嫌われそうな気もしたし。

前の記事に書いた「整理」というのは具体的に手を広げすぎたblogを整理するということと、このへんの気持ちの整理という意味もある。どのようになっていくのかはわからないけど、また少し新たな気持ちで書きつづけていこうとは思っている。
ほぼ一ヶ月ぶりの記事になる。何事も継続することができない私が、本領を発揮してもうやめた、ということではない。以前に書いたかもしれないが他のいくつかのblogサービスに登録していて、全体としてはちゃんと継続していたのだ。

じゃあ「Ameba blog」に飽きたのかというとそうでもない。複数のblogを公開する、というのはそれほどいろいろ書きたいことがあるということではなくて、ひとつは単に「使い勝手」の良いところを探して、ということであり、もうひとつはなんとなくそこで形成されてしまった(ように自分では思える)人格を変えてみたい、ということだ。

人格、というと大げさなんだけど、人格というよりはそこに書く記事の種類がblogごとにだんだん決定されてきて、なんとなく自分でこれはここに書こう、とか決めてしまうのだ。そのとき興味の向いていることは特定のとこにしか書かなくなるので、更新頻度に偏りがでる。

Amebaでは「ニュース・バラエティ」というジャンルを選んだ時点で、割と何も考えずに何でも書けるし非常に気楽なのだが、気楽な分だけ充実度が薄いような感じもしている。

気楽に書くにしてもそれなりの時間を費やしているわけで、これだけ(開設blogの)手を広げてしまうと特定のとこだけ充実させるというのも難しい。

というわけで近々少し整理したいと思っている。なんて言うとAmebaをやめるみたいだけど、そういうことではありません。
長い間待たされていた一色まこと「ピアノの森」が週刊モーニングで復活。

掲載誌が休刊する前から休載続きの理由は知らないが、なんとか継続してほしい。また、子供の頃の話がすばらしかった反動か成長した主人公の魅力が薄れていたような気もするが、これを機にいっそう面白いものを期待しています。
長谷川、ウィラポン破り新王者に…WBCバンタム級(YAHOO!JAPAN NEWS・読売新聞) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050416-00000311-yom-spo

判定ではあるが日本人選手には大きな壁であったウィラポンに勝った、というのは良いニュースだ。しかし私はこの試合のテレビ中継を見逃した。

 ボクシングは好きで気が付けば必ず見るが、熱心に情報を求めていないのでこの試合もやることは知っていたが今日の昼間だとは…。

ゴールデンで放映しにくくなったボクシングの不人気がこのような時間の放送でさらに下降線を辿る。 最近では世界タイトル戦を放映しないこともあり、生中継されるだけでもありがたいことではあるが、K-1等の格闘技に人気が集まるなか、ボクシングを見る人が少ないのは残念なことである。

めちゃイケ!特番、数取団での和田アキコ。あの姿を見て、もともと彼女に好意を持っている人は、日頃は口が悪く偉そうにしていても、真面目でちょっと子供っぽいところもあるイイ人なんだ、と思ったかもしれない。私は番組としてはおもしろく見たし、和田アキコの振る舞いも不快感はなかった。が、もともと和田アキコは好きな芸能人ではないので、不快ではないがあまり見たくもない一面、ではあった。

 

番組内でのゲームみたいなものに参加して、そのためにさんざん練習してきたという和田アキコが本番でうまく行かず、緊張し、失敗に泣く(文字通り泣いた)というものだ。こんなことで泣くなんて純粋な人なんだワ、みたいに思う人がいるからこの人は所謂「好感度」が高いのだろう。

 

実際にそういう子供っぽいところがあるから、ズバズバものを言うし、計算高いようにも見えないから好かれるのでしょうね。個人的にはイイ歳してそんな子供っぽい一面を持ったオバサンは別にテレビで見たくない、と思うんだけど。

今月の「ハチミツとクローバー」は真山君の話。念願がかなって、というところ。

 

自分を好きになってくれる人を好きになる、ということはよくある話だが、それはそれまでなんとも思っていなくても、自分に好意を持ってくれている、という部分でスイッチが入るというか、逆にそこで相手を好きになれなければその好意さえもうっとおしいというか。その意味でずっと自分に好意を持っている相手を拒絶しておいて、最後にそれを受け入れるというのは根負けなのか?とも思う。

 

個人的には一方の求愛に対して、駆け引きとかではなくて最初に拒絶(またはそれに近い反応を)しておいて最終的に受け入れる、というのは理解しにくい。現実的にはどうなんだろうね?

 

このハチクロの話の場合は、その拒絶が「死んだ男」に対しての想いが残っているから、相手が誰であれ受け入れがたいという状況ではあった。単に別れた、ということでなく死別というのは特殊なのかも。

「美人○○」というのはマスコミが人の興味を惹くためだけに、並な容貌であればだいたい美人に格上げしてタイトルに使う。そして当然インパクトが強いのは「○○」の部分の意外性だ。

 

「美人女優」なんてあんまり言う意味ないし、「美人ママ」なんてのもありふれている。「美人コンビニ店員」とか「美人家政婦」などはきっと人の興味を惹く(はずだ)。「美人ひきこもり」とか。

 

美人教師、美人秘書、というのは興味を惹くというよりもある種の「イメージ」で、まあなんとくなく男の憧れなのだろう。例のライブドアの美人秘書、美人という称号がどうなのかはなんともいえないが、微妙なラインでその言い方が成立しているような気もする。なんかソソるとこあるんだよなあ。まあどうでもいいですが。

森進一と森昌子夫妻、偶然にも子供の苗字まで「森」らしいですよ?

 

なんて下らないことはおいといて、離婚危機だとか。真相がどうとかには興味はないけど、世間から「おしどり夫婦」なんて言われるのは嫌なことなのだろうとは想像する。おしどり夫婦よりは、おとしより夫婦。