無用の用という言葉は高校卒業式で聴いた訓示、今でも覚えている。今から半世紀も前のことでありスマホも何もない時代でした。クヌギの木がなぜ大木に成長できてるかという話からクヌギの戦略が無用の用・・・という論理だったように思うが。スマホというものが手元に入り便利になった、それはいい事なんだが、スマホがあるために沈思黙考する時間が現代人には少なくスマホに毒されてることになってないか。技術者が研究成果を求めるときの心構え・・クヌギの木が大木に成長するように木の成長をじっくり待つ心の持ち方が必要なんじゃないかとJ-Stageにリストアップされたようだ。沈思黙考するだけなら高齢者の生活の大部分はそれに似たようなもんだと私は思う・・ヒマさえあればスマホをいじってるより自分の頭を使う方がボケ防止にはいいはず。でもね、昨日は回転ずし屋でスマホ画面からの注文に汗だくで格闘してたんです。今はスマホが扱えないと注文もできない社会になってることに愕然とします。孫娘に教わりながら寿司を注文する高齢者でした。J-Stageに編集された記事を添付します。理系女を目指す孫娘の目に止まれば嬉しいんだが。。