香川県丸亀市の沖に本島がある
この島は昔々瀬戸内海の島探検をしている時に訪問済だが後になってこの島に
石鎚山がある事が分った、なかなか来れる島でもなく後回しになっていたのだが
今日、天の囁きに従って行ってみよう
本島は周囲16キロほどの島でいくつかの山があり島の東側に遠見山という小山
がある、この山が本島の石鎚山である
山頂には石鎚神社の祠があるようだが感じからして既に忘れられている石鎚山
のようで現在どれだけの島民がこの石鎚神社の事を知っているのかも不明
遠見山山頂には展望台があり遊歩道が整備されている、情報では山頂から北へ
少し進んだ所と言う事だけであるが意外にも迷う事無く発見する事ができた。
やはり予想通り今は誰も来ている様子も無く祠までの参道の踏み跡も薄く、周囲
は荒れて既に忘れられている様子である。
石鎚神社の入り口は南から北に向かっているが祠は東向きに建てられていた
祠の正面に元々道があった様子もなく、故意に東向に立てられている事からこの
石鎚山の東側にある笠島集落の信者さんにより作られた石鎚山と予想するも
これは僕の推測である、そして祠の扉の隙間から覗き込むと中には石鎚蔵王大
権現が見える。
石鎚3体権現さんの右側の権現さんであるが他の2体は分からなかった。
祠の側面には「昭和十七年」の文字が残っている、現在は神事が行われている
様子も無く祠の扉に枯れた榊が刺さっているだけである。
この石鎚神社、おそらくこの島に知っている人がまったく居ない訳でもなく、扉に
鍵がかかっている事から誰かに管理はされているのだろが祠の「石」の印が無け
ればここが石鎚神社である事は分からなかっただろう。
本島の石鎚神社はここにあ
そしてすぐ上に「遠見山・てんぐの足あと」がある
石鎚山の調査である
正面に大型の祠
石鎚神社
東向きに建っている訳であるが
祠の造りはすばらしい
そして左側には
祠の後には「組講」とあり
17時10分のフェリーで四国へ 右側の小さい峰が石鎚山(遠見山)である
石鎚山まで歩いて行けないことも無いが
どうせなら島を一周してみよう
大きく変わった気配は無い
そしてこの看板には石鎚山の文字はどこにもない
ここが石鎚山 (遠見山) の登山口
ここは長徳寺のすぐ裏山で
ここは長徳寺のすぐ裏山で
お寺の横の道を登って行った所である
既に結構登っているので山頂まではすぐのよう
登山道はそのまま笠島地区へ繋がっているよう
巨石の下に祠があるだけ
ちょうど中央が本島港である
そしてすぐ上に「遠見山・てんぐの足あと」がある
ここは本島の東端に位置していて
瀬戸大橋が綺麗に見渡せる位置である
瀬戸大橋が綺麗に見渡せる位置である
石鎚山の調査である
山頂の東屋から北に向かって遊歩道の続きがある
正面は北に向かって支尾根が続いている
ここが石鎚神社への入口である
正面に大型の祠
石鎚神社
台座だけで2mほどある立派な祠である
東向きに建っている訳であるが
正面に本来の参道があった気配もなく
普通なら歩いてきた南方向が本当だと思う
この石鎚神社は故意に東向きに置かれていて
僕が察するにはこの石鎚神社は
正面真下にある笠島地区の石鎚神社で
ある可能性は捨てきれない
祠の造りはすばらしい
そして左側には
「昭和十七年四月十二日 発起人 小﨑和平太」とある
祠の後には「組講」とあり
15名の氏名が記されてあった
石鎚蔵王大権現
この権現さんは全高30cmほどの権現さんで
石鎚3体権現の右側の権現さんである
右側の権現さんが真ん中なので
1体だけだと思うが両端が見えないので分らない
鎖があってもよさそうだが何も無かった
ここで響き渡る大祓詞は何年ぶりだろうか
すべての祝詞を唱えてここを後にした
正面中央が石鎚神社の位置でこちら向きである
こうやって見るとこの町の石鎚山である可能性が高い
17時10分のフェリーで四国へ
まぁまた来るだろう(^_^)。
旅する石鎚信仰者