王様の耳は驢馬の耳 | 王様の耳はロバの耳

王様の耳はロバの耳

普段口には、しないで
済んでいることを
こっそりと、呟いて…

人は、誰もが
愚かしくも、
あまりにも、簡単に

与えられ具えていた、
徳や尊厳を自ら失くし
迷ってしまうことを
私が忘れぬ為に書く
普段は口にしないこと。


「縁がなかった」と
思うがままに
何かを獲得出来ない時に、

自分本位、自意識過剰
自己中心的、自己主体に

情けなくも不甲斐なく
恥ずかしげもなく
思ってしまう。

そうした、
負け犬の遠吠えのような
己の業

情けなくも不甲斐ない
弱音、弱気 泣き言、
慰めな其の有り様を
自ずと鼻で嗤えてしまう。

わたしは、常日頃
「縁」や「努力」

自らが
欲するモノばかりとは
限らない。と思っている。

過去に出会った誰かとの
「縁」が
失われたように感じても
其の「縁」が巡るのか…

過去に出会った誰かを
彷彿とさせる
新たな「縁」と
出会ったからか…

過去の「縁」では
未熟なわたしでは
成し得なかった何か、

新たな「縁」に
出会うまでの月日にて
後悔にも、成らぬ程の
ほんの少しの感傷
しこり、古傷疼く、

新たな「縁」が
巡りきたことに気付く。

新たな「縁」に
出会ったことに
気付いては、

ソコに至るまでの
過去のわたしが
業を深めた行いを

わたし自身が
最後まで、自己責任担い
責任果たし、全うすること
適わなかった
物事事象に新たに出会い

その出会いに対して
どのように、今
向き合い、誂む
わたしかに依って、

わたしは、
其の新たな「縁」さえも
過去のわたしが選び
この世界に生み落とした
「因果」に感じてゆく

新たな「縁」に出会い
過去の己には
努めることが適わなかった
「贖罪」に努めさせて貰っては

今、ソコに在る
新たな「縁」出会いに
寄り添え切れぬ恥を知る。

新たな「縁」に
わたしの「心」は
ソコには居らず

過去の不出来な
わたし自身と向き合って

わたしは
過去の自分が
過去に出会った「縁」に
対して

努め、
果たしきれなかったと
わたしが思う「贖罪」を

今、新たに
この世のソコで出会った
「縁」に報いることで

過去に出会った
「縁」に対して
ソコに至るまでに
わたしが背負って来た
「情け」「想い」「感傷」

其れ等の荷を
今、ソコで
新たに出会った「縁」に
捧げ報い伏し
努めさせて貰える実感に

過去のわたしが
成し得なかったことを
果たさせて
貰っていることを知る。

人であろうと試みる
人に成るための御業。

人であろうと試みる
全ての存在の誰もが
等しく平等に

個々に努め
成し得ねばならない
人が其の生涯を
人として過ごせる為の
其の御業。

信心 辛抱 
努力 勇気

自らが選んだ
この世で何かを選び
自らが生成した
自らの業、罪の報い、

其の責任を
自らが一人、
最後まで、果たす。

誰もが等しく
平等に

其れを、一人で
成し得ることが
今、未だ適わずあれば

重荷、古傷、感傷、
しこり、後悔
そのままに

未だ、何をも
一人では成し得れぬまま

人に成れずに
彼岸に渡れず

誰もが等しく平等に
独り、この世に迷い

カンダタのように
成ってしまうのだろう。

誰もが等しく
平等だからこそ

今、ソコに在る
「縁」に
今、ソコで、
出会っていることに
気付いていられる

盲亀浮木の
出会いに
今、気付けることが
有り難い。

自らが、其の
出会いに気付けても
相手は、貴方を
見ていないかも知れない。

そんな相手に
何かを求め欲して
飢え渇くよりも

今、ソコに在る
自らを見ていない相手の
幸いを祈らせて
貰えることが有り難い。

其の生涯の
今、ソコにて
救われゆく誰もが今、

今、ソコにて
一人、努めさせて
貰えていることは

ほら、どこまでも
どこまでも
等しく平等で
規則正しい。

負けないで
自分の欲に
飢えに渇きに
負けないで

人に並んでゆけるよう
今、一人
辛抱強く、
自己責任担い
努力させて貰えることが

そんな自分の努力や
辛抱を
ソコにしか居ない
誰かや何かに
知って貰おうとすることよりも

とても大切なことで
有り得難い
貴方の孤独、

寂しさ侘しさ心細さからの
飢え渇きを
昇華し弔いゆく
術なのだろう。