まえにも書いたが、ハイソサエティの人というのは、ビジネス、ホビィ、スポーツ、レジャにそれぞれの嗜みがある、と昔から欧米ではいわれている。
つまり、スポーツやレジャは、ホビィではないのだ(たぶん、これを書くのは4回め)。
hobbyというのは、「個人研究」と訳すべきワードだった。「趣味」と訳してしまったため、日本人の語感として、
「遊び」「素人」「仕事ではないもの」「余暇」といったイメージに長らくなっていた。
ちなみに、自動車のドライブはスポーツになるし、キャンプや旅行などはレジャである。これらはホビィではない。
ホビィがない人は、ビジネスがない人と同じくらい、不足している人間だと軽蔑される。
ビジネスとホビィのウェイトはあくまでも同等なのである。既に、最近の日本はこれに近い状況になっている、と感じる機会がときどきある。
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某掲示板で見かけた文。
日本で言う文武両道みたいなものなのかな。
インドアの趣味と、アウトドアの趣味と、両方持っているといいのかも…。
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といっても欧米の場合、
ハイソサエティのスポーツはテニスやゴルフ、大衆のスポーツは野球やサッカー
ハイソの音楽はクラシックやオペラやバレエ(古典寄り)、大衆の音楽はロックやポップス
って階級によって分かれているみたい。たしかに、ハイソサエティの趣味って造詣を深めようとしたらお金と時間がかかるしね。だからこそ、ステータスになっている部分もあるんだろうな…。たぶん、一種の社交場みたいになっているんだろうなあ。
対して、欧米の大衆の文化っていうのは、カウンターカルチャーだから。伝統的な欧米の上流階級の文化って、革命前のヨーロッパって貧富の差が大きくて、大衆は食うにも困るような状態だったのに(毎年数万の餓死者が出る飢饉があった)、上流階級だけで富や美しいものや優れたものを独占してしまって、大衆を締め出してしまう文化だったから。それで、近年になって上流階級の文化に対抗できるような、自分達の文化をつくろうぜ!っていうものが動機になってつくられていったみたい。 (ただし、ハイソサエティの若者の場合は同世代に流行っているものは聞いているような。)
それに対して、日本の大衆の文化っていうのは。伝統的に富が全体的に配分されていたから。花開いたらしい。
浮世絵は版画だから大量生産ができて、たくさんの人が楽しめるし。江戸時代の日本は世界一識字率が高かったから、庶民が文学に触れることが可能だったし。日本人は、もともとの大衆の文化レベルが高かったんだよね。数百年前のヨーロッパでは超エリートしか、王侯貴族か教会の牧師さんしか文字が読めなかったらしい。
それから、はやっている時は全体的に認知されて、みんなで楽しむ空気が生まれて、流行が終わるといっせいに見向きもされなくなるというのは。(私は流行に乗るのが遅い部類で、それ以前に流行に気がつかないこともあるけれど…。)周りの近い関係の人たちの思い出になっていることって、やってみて、気持ちを共有したくなるものだから…。入手しづらければしづらいほど、人気があるんだなって欲しくなる心理みたいなもの。
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日本の江戸時代の教育水準は世界的に高くて、庶民の識字率も高かったと... - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1489492574