きのうは、お父さんのお誕生日でした。

生きていれば、67才。

亡くなってもう4年。

ヒカリの子育てに忙殺されて、あっという間に

時間は過ぎて行くのに、さみしさは薄れないものですね。

人生のどこかが大きく欠けてしまったような感じで、

この世界はもう元には戻らないという喪失感みたいなものが、

生きていくということなんだなあ、と。


ヒカリを身ごもっていて、水天宮に安産祈願にみんなで

行ったときに、父がものすごく咳き込んで苦しそうで。

検査の結果、「末期の肺癌で、肝臓にも転移している」と

先生から説明を受けて、

家族はみんな、この世の終わりのように泣き崩れました。

父だけが、「幸せな人生だった。ありがとう」と、

一人気丈で、残していかなければならない祖母のことを

心配していて。


流産してしまうかと思うほどの苦しみだったけれど、

家族もみんなどうにかなってしまいそうで、

「家族の精神サポート」がどうしてないんだろう、と

恨みたくなりました。(最近は充実してきているようだけど)


日本中にある「肺癌」の本を読んで調べました。

抗癌剤の組み合わせとか、専門書もたくさん読みました。

どの学術書を読んでも、末期の肺癌は助かる見込みがなく、

先生には「余命半年」と言われ、父に伝えるべきか、

本当に迷ったけれど、余命は言わないで欲しいと

先生にお願いしました。

自分だったら「告知」してほしい、とずっと思っていたけれど、

「余命」まで本当に知りたいだろうか、と。

いまでも、その答えはでないし、伝えなかったことが

よかったのか、いまでもよくわからないままです。


本屋に行けば、「肺癌」の本はたくさん並んでいるし、

そこには「余命」のことが必ず書かれている。

それでも、父は「肺癌」の本は絶対読もうとしなかったから、

やっぱり知りたくなかったんじゃないかな、と思う。

でも、だいたいわかっていたんだろう、とも。


毎日毎日、一緒にいろんなところに行きました。

生まれてくるこどもの服を買いに行ったり、

お花見に行ったり、

小さな頃よく家族で行ったレストランめぐりをしたり。

一日も無駄にしたくない、と思ってた。

一緒にスーパーに買い物に行った帰り道に、

父がぎゅっとわたしの手を握ってきて、

お父さんと手をつなぐのなんて子供のとき以来だったので、

涙をこらえるのが大変だった。

最後まで何も言えなかったな。

「絶対、大丈夫だから。治るから」と、励まし続けていて。



本当に逝ってしまう瞬間に、大きな声で、

「お父さん、愛してる。いかないで」って叫んだけど、

聞こえたかなあ。聞こえなかったかなあ。


ヒカリが生まれたときは、うれしかったけど、

「ああ、これで、お父さんのことにかかりきりになれなくなる」

という別離に似たさみしい気持ちもしてました。

生まれて3ヶ月でいってしまった。

なんとなく、お父さんは長生きできないんじゃないか、

という気持ちがずっとしてて、

「生きているうちに孫の顔を見せてあげないと」と思って、

キャリア的には、これからという時だったのに、

子供を産むことを優先したような気がします。



ヒカリは、なんとなくそういうのを全部わかって

生まれてきたような子で。

お腹の中にいたときに、病院で3Dのビデオをとってくれる

というので、父も一緒に病院に来たのだけど、

後ろを向いてしまって、どうしても顔が見えなくて。

「こっち向いて。お父さんに顔を見せてあげて!」と

強く思うと、ちゃんとくるっとひっくり返ってくれたり。

今も、政治活動で忙しくなってしまって、さみしい思いをさせて

いると思うのだけど、今までママと全然離れられなかったのに、

急に「ママ、いってらっしゃい」と玄関まで見送ってくれるように

なったり。

でも、夜、眠るときは、「ママが大好きなの」といって

ぎゅっとしがみついてくる。けな気で切なくなります。