人は誰も完璧ではありませんが、
現代に生きる私たちにとって
一番欠けているもの
とはいったい何でしょうか?

不足しがちな栄養素を補うために
健康サプリが飲まれたりするけど、
人間としての内面性に向き合って
自分をよく知ることも大切です。

一般的に日本人は、優しい人が多い
というのが海外の人から見た印象です。

しかし実際には、引っ込み思案だったり
遠慮がちだったり、出る杭をぶちのめして
同調圧力で押さえつけ、闇に葬る構造が
知らない間に出来上がっているのです。

日本神話の時代、天照大御神が岩戸の中に
隠れ去ったように、さわらぬ神に祟り無し
として不可侵な領域を作り上げています。

精神的に文明人として成熟しているように
見えても、大きく欠けている事はあります。

それでは、私たちにとって
欠けていて補うべきもの
とはなんでしょうか?

それは「真実の愛」であり
「他者に対する尊敬の念」
そして「自分を大切にする心」


いじめが発生する原因としては、
自分自身もいじめの被害に会って
苦しみを受けた事に対しての怨念、
恐怖と不安、絶望と責任転嫁です。

「自分は価値のない人間だ」
という思い込みが心の奥にあると、
他者の価値も認められなくなります。


「価値無きもの(悪)を
正義の制裁(善)によって
亡き者(平和)にしよう」
という最悪な結論に至ってしまいます。

そこには何の救いも無く、
希望も優しさもありません。

「和をもって尊しとする」

とは聖徳太子の言葉ですが、

そもそも「和」とは何でしょう。


「意見の違う多くの人がいて、

たとえ自分を押し殺してでも

波風を立てずに妥協したり、

実際は反発しているのに

調和したふりをする」


というようなネガティヴな

ことでは決してありません。


「互いに納得できないまま、

腹に一物もって妥協する」

ということではないのです。


現代に生きる日本人の多くが

あからさまに誤解をしていて

その様な勘違いをしている、

というのが悲しい現実です。


の中が不満で一杯なのに、

相手に対して悪意を秘めつつ

「和をもって尊しだよね!」

といって安直に妥協をする。


その結果、弱者が泣き寝入り

しなければいけなくなります。


「和」の本当の意味は、

本来の自分を正直に活かし

他者を受け入れ共に協力して

平安に生きるということ。



最適効率化でもありますし、

自分を裏切らないことです。


もし不平不満があれば、

正直に表現して納得し合い

理解し合いいたわりあうこと。


悶々と御世辞やおべっかで

相手を忖度してばかりだと

言いたいことも言えないし

一致和合ではありません。

(´・_・`)ソンタクー


お互いに歩み寄り、

お互いに妥協せず、

お互いに理解すること。


それこそが、本当の意味で

「和の国」ということです。


「君は素晴らしいね、最高だよ」
と言って相手を立てるのは
「自分も最高なんだけどね」
という謙虚が裏に有ります。

おもてなしの心は、
裏も表も無く
相手を尊いものとして
自分をも高める心です。

真実の愛、それは、
無限に終わらない
強く優しく清らかな
いつくしみの思いやり。

自分と他者への
リスペクトであり、
明るく元気でさわやかな
ポジティブ全開の心です。