【 心が 育つための 感謝 】
心からの感動や喜びというものは、
自分自身の成長や向上だけではなく
誰かと一緒に育ちながらでなければ、
偉いマスター(師匠)も、いつかは
必要性がなくなってしまうでしょう。
そこに感謝が根付かないからです。
指導する技術やの優秀さがどれだけ
優れていようとも、結局のところ、
「指導される」力がなければ、
人間関係は成立しないからです。
犬猫なんかの動物でも、実の所、
感謝や謙虚さはないこともない。
ただ、人間の存在を単なる物質として
見る様な、心無い指導者もいます。
下等、下劣で卑賎極まりない人間は、
例え心の中でそう思っていなくても、
他者からそう見られるだけであっても、
メンターとしては成功したりしません。
当然のことながら、メンティーも、
成長して向上することは困難です。
【 気付き合える 有り難さ 】
感謝や感動、勇気と慰めを得られる
助言や指導などの支援というものは、
人間らしい生き方を活発にしてくれます。
人間というものは、助け合い、支え合い、
共存共栄して生きていくものだからです。
感謝し、さらに創造的に生きるためには、
お互いを高め合い、活かし合うことです。
指導、助言、支援といっても、
人間関係というものに大切なのは
気付きと感謝にほかなりません。
気づかいがある人であれば、
人の弱さや悩みなどに対しても
理解してあげることも可能です。
自分のことでいっぱいな人ほど、
誰かの苦境困難に目が向かないで、
お互いを裁き、批判し、罵倒します。
そこにはもはや指導は絶無。
小言を垂れ流すだけでは
大切な御縁も無くなり、
誰も残って頑張ったりは
したくないでしょう。
【傷付き合うより気付き合う】
ひとを脅したり、恐怖で縛り付けたりせず、
大きな喜びとか、平安な気持ちが育つのなら、
人間は向上することができる存在です。
人間の身体には自己治癒能力がありますが、
自分自身で成長する能力も潜在しています。
優秀な指導者は、成長させる技術などよりも、
成長を引き出すことができる能力を持ちます。
指導と称し、人の心を言葉の暴力などにより
傷付けていれば、成長も見込めないばかりか
信頼もなくなり、怨恨が積もり積もってきて
やがては関係性も全て崩壊せざるを得ません。
傷付き合うよりも、気付き合うことです。
誰が、どんなに苦しんでいるか、とか、
どんなことで喜びを見出し感謝するかを
理解出来ることこそが、メンターとして
被育成者の支援が完成する絶対条件です。
人は、自分自身が理解されることを望む。
しかし、理解しようとして心を傾けるなら、
人の心を開き、天国に至る扉も開かれます。
ヤコブの手紙
第5章
7
だから、兄弟たちよ。
主の来臨の時まで
耐え忍びなさい。
見よ、農夫は、
地の尊い実りを、
前の雨と後の雨とがあるまで、
耐え忍んで待っている。
8
あなたがたも、
主の来臨が近づいているから、
耐え忍びなさい。
心を強くしていなさい。
9
兄弟たちよ。
互に不平を言い合ってはならない。
さばきを受けるかも知れないから。
見よ、さばき主が、
すでに戸口に立っておられる。
10
兄弟たちよ。
苦しみを耐え忍ぶことについては
主の御名によって語った
預言者たちを模範にするがよい。
11
忍び抜いた人たちは
さいわいであると、
わたしたちは思う。
あなたがたは、
ヨブの忍耐のことを聞いている。
また、主が彼になさったことの
結末を見て、
主がいかに慈愛とあわれみとに
富んだかたであるかが、
わかるはずである。


