お久しぶりでございます!

なかなか雨風呂を更新出来ていませんが、

ハッピーラッキースマイリーは不滅です!

( ´ ▽ ` )ノ☆


最近の世の中には、ハッピーハロウィン

などという言葉がよく見られますが、

そのイベントの本質的な存在意義とは

いったいどのようなものでしょうか。

単なるカボチャとオバケのお祭りでしょうか?
それとも何かの深い事情があるのでしょうか?

以下は、ある風水師の先生による
アメーバブログの記事を
勝手に引用しています。
(また今日も無断コピペ...)

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ハロウインの起源と
儒教的生死観の共通点
 
『ハロウインの起源』は、古代ケルトのドルイドの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン祭でした。ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していました。

1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたため、かがり火を焚き、作物と動物の犠牲を捧げ、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった11月1日の朝が来ると、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、悪い霊などが入らないようにしました。

お化けの仮装をするのも、この悪霊達に仲間と思わせ攻撃されないための、魔よけの意味があるようです。家も幽霊屋敷の様にすると入ってこない様です。
 
このことは、古代中国において最も昼の時間帯が短い『冬至』を一年の始まりとし、夜はあの世、昼はこの世を司ると信じられていたことと共通致します。

また、一般的に儒教では、人間を精神と肉体の2つに分けて考えます。

精神を支配するものを「魂(こん)」、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んでいます。地上人はこの両者は一致していますが、死ぬと魂魄(こんぱく)が分離し、魂は天へ上って空にとどまり、魄は地中(墓)にとどまるようになると言います。

儒教では、子孫が天(空)に漂う先祖の魂と、墓にいる先祖の肉体(魄)を、地上の子孫のいる場所に呼び戻すことによって、先祖は再びこの世に現れることになると考えます。

以前、流行った映画『キョンシー』は、この生死観がベースになっています。

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ちなみに2015年は、
こくぼっちファミリーも
はじめてのハロウィンでした!!

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こくぼっちお父さんは、とってもハッピーです!
娘たちもみなさん笑顔で喜んでくれていました!!
( ´ ▽ ` )ノ☆☆☆


早い話がハロウィンは、神さまへの感謝祭とか収穫祭的な宗教的なお祭りというよりも、民間人による土俗信仰の名残りで、日々の生活をいかに乗り越えて行こうかという知恵ともいうべきものなのでしょうか。

典礼や儀式によってきれいに着飾り彩られる宗教はとても善意と慈愛に満ちた道徳的なものです。


しかしながらそれで世の中が、実際問題としてどれほど良くなるというのでしょうか。

それは、表面的な外面だけの形式主義文化というものにもつながるのではないでしょうか。

今更ながらですがたいていの場合、いくらどんなに初めの頃は良いものに見えていても、年月が経って規模が大きくなるにつれて、

政治や権力に利用されて邪悪な欲得まみれに腐敗してしまう歴史的な展開があるわけですから、

ハロウィン自体を陰謀史観の下で批判することも無意味かもしれません。

ハロウィンのイベントを敵視している人は、どれほどその御本人さんは、現実世界に良い実りをもたらしているというのでしょうか。


以下は、雨風呂以外のこくぼっちさんの記事です。

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人間が生きていく上でら死という恐怖に打ち勝たねばならないのなら、最も優れたマネジメント手段を探すためにベンチマーキングを実行してみましょう!

どのようなベンチマーキングをして改善策とすれば効果的な変革になると思いますか?

ベンチマークの対象を決定
(人はいつか必ず死んでしまう)
↓

最も優秀な競合を見極める
(死に際しても幸せになる)
どういう観点から調査するか
(基本的には死にたくないよね)
現状から比較基準を設定する
(死なない人=2次元?)
↓

情報収集
(ハッピーハロウィン?なにそれ!)
分析
(ネットでも話題になってる!)
内外の情報収集結果より
現状のギャップを抽出する
(昔は子供のお祭りだったのにな~)
ギャップの原因を分析して
それを明確にする
(大人が幼児化してるんだろ)
↓

統合・ 目標設定

(それだけ死という異世界が、
身近じゃなくなってるのかもね)
分析結果の開示

(若者から年配の方まで
お祭りに参加しとる...)
対象範囲を設定
(子供たちも喜んではいるのか...)
誰にもわかる特定の目標を掲げる

(結局企業の商戦になるんだよなー)
実施
(コスプレパーティーなう〜)
実働計画を展開する
(大人がやると単なる乱痴気騒ぎ?)
計画実行と定期的に
どの程度実行されたかを評価する
(騒ぐならゴミも片付けろよな!)
ベンチマーク値を測定する
(結論、子供のコスプレなら
ある程度まではOKとするか...)


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昔むかしの時代と言うものは、異世界が現実生活と密接なつながりを持っていたため、異世界と現実世界が常に隣り合わせでした。


天国、地獄、魔道冥府。それらはいつも、人間の意識の中に息付いていました。

まるで、「風の谷のナウシカ」という映画に出て来る腐海や蟲(むし)たちのように、日常生活の中でも「死」や「あの世」などの異世界は、圧倒的な脅威として人びとの心に君臨していたことでしょう。


それを平和なものとしておさめるためには、世界の存在を物語りとして知らしめるだけのシステムが構築される必要があったのでしょう。


実際問題として、神さまの存在感がそのままではすべての人に受け入れられないとしても、身近な存在としての「死者」であれば、直系親族や隣人などの「他界」に伴って、「異世界」への扉も開けてゆくわけです。


先祖を大切にする東洋思想である儒教は、風水などの形をとって現世に大きな影響を与え続けております。





他者に善を施すのは
自分にも善を為すことであり、

現状を把握し改善を施す事は
将来的に希望をもたらす。