世間において多くの一般的な人というものは、自分から主体的に動くようなことをせず、何か有益な出来事が自然にやって来て、良い展開になってくれることを期待しています。
積極的か消極的か、能動的か受動的かという違いは、その後の展開や最終的な成果に対しても、必ず大きな影響を与えます。
しかしながら、それらの違いがどういうことを意味するのかということは、あまり意識されない場合が多く、結果さえ良ければそれでいいという見方や考え方も、とても多くある様です。
多くの人が持っている見方や考え方といえば、誰かが手を差し伸べてくれたり、世話をやいてくれたり、実際に助けてくれたりというのを単に自分は待っているという態度です。
何か良い事をしてもらえたら幸運なことで、たとえやってもらえなかったとしても、それはそれで仕方ないことであり、あとはその都度その都度に何とか対処してゆくだけです。
天から恵みの雨が降るのを待つような、棚からぼたもちが落ちでくるのを待つような、とても好ましくも稀なる事態に発展して、何か有益なアクションを誰かが善意で起こしてくれるのを待っているようなものだということです。
そもそも私たちが人間として本来的に備わっている性質というものは、どのようなものでしょうか。
この世界、このありふれた世の中に対して、人間はどのような態度で生きているというのでしょうか。
それは、まずは自分で行動を起こし始めるということです。
あらゆる種類の出来事に対して、事後処理をして済ませたり、その場その場の流れによって臨機応変に対応することばかりがあるべき姿なのではありません。
どんな人であろうとも、受け身の態度ばかりではなくて、まずは自分自身が真っ先に何かの行動を起こしてゆくということが、人間本来の自然な姿勢なのです。
人というものは、周りの状況に自らが率先して影響を与えるということこそが普通に自然なことであって、ただ漠然と影響を受けることが当たり前なのではありません。
善かれ悪しかれ誰かからの影響が及ぼされてくる前に、自分からあえてわざわざそれを出迎えるように少しでも良くしようという態度こそが、本当の意味で自然な生き方なのです。
そこには、どれほどのリスクというほどのものも存在することはなく、むしろかえってリスクを減らしたり回避することさえも可能だからです。
人は、この世界に生きて働きかけている存在であるという自覚さえあれば、自分の経験からだけではなくて、他者の経験からさえも、何か有益な情報を取り入れたり、賢く学ぶ事ができるものです。
そして、良い習慣を身につけるのも断ち切るのも、悪い習慣に引きずられるのも立ち直るのも、すべては自覚という能力のなせるわざなのです。
自分こそは、主体的に生きて働くことにより、世界を改善することができると自覚して確信をもっていれば、本当にそれが実現可能になるのです。
物事を引き寄せるための法則だとか見方や考え方、感じ方や行動の仕方というものは、ひとえに日々の生活習慣を、建設的かつ創造的にすることであり、それはまさしく未来への想像力と率先力なのです。
パラダイムシフトというものがありますが、それは思考の価値観が根本的に大きく変わるということです。
そしてそれは、困難に直面したときにこそ起こるのです。
厳しい状況に置かれると、人はまったく新しい視点から世界を眺めるようになります。
その世界に存在している自分自身と他者を意識して観察することにより、人生が自分に何を求めているのかということが見えてくるのです。
目から鱗が落ちるとも言われるように、パラダイムシフトによって物事を考える視点が変わってくると、見え方や考え方ははっきりと明確なものになり、感じ方や行動の仕方までも、迷いなく確信をもって進んでゆけるのです。
私たち人間には心というものが働いており、大抵の場合、自分の身に起こった何らかの大きな出来事があったとしても、心というものはその現象そのものによって傷つくわけではないのです。
その出来事に対して、自分の反応がどのように動くかによって、人の心は傷つくのです。
たとえ傷つくことがあったとしても、それを癒して慰さめてもらえるからこそ、人は、勇気を出して前に進むことも出来るのです。
人間を人間たらしめているものは、単なる理性や賢さではありません。
機械やロボットは人間とは違います。
人工知能と人間性とは、厳密に言ってどのような違いがあるのでしょうか。
人は、この世に生きるためには、自分から行動して、確信を得ることが必要です。
単に自分が生きている、というだけのことを確信することなんかではありません。
そうではなくて、自分も世界の一部であり、自然と調和することができるという確信です。
この世界の中にあって、自分もその周りのすべての人も、お互いが影響し合って存在しているんだという、実感としての確信です。
人や自然と調和すること、世界に影響を与えるということは、当たり前の人間本来の仕事であり、生きる意味でもあります。
確信とは、感情でも気分でもなく、思考や観念ですらないのです。
それは、信念であり、覚悟でもあります。
自分の感情や気分や思考を切り離して考えられることこそが、人間と動物の決定的な違いだとも言われています。
主体的に生きる習慣を身につけるという事は、人間らしく生きることでもあります。
そして、人間性を愛するという事は、人としてこの世に生きる上でとても大切な姿勢であり、理屈でも感覚でもなく、人が生きるために決断する勇気と希望です。
人がこの世に生きるために必要なことは、常に勇気と希望を持って、主体性を発揮するということなのです。
それこそが、真に上智と呼ばれるべきものであり、愛という言葉の真の意味でもあります。
主体的に生きて働くことは、人間性を支える根本的な命題です。
この世は人間にとって生きるのに大変な所ではありますが、そのためにこそ、愛と誠実さを持つことに意義があります。
主体性と自覚、率先力と確信により、この世は人間によって、新しく大きく変わることができるということなのです。

