【 人を裁くな  自分を直せ   】

他人の何かの行為を見て、
うわべだけで非難したり
悪く言ってはいけない。
自分に必ず帰って来る。


人の行ないは、時として、
外に醜さが見えていても、
他の理由を何か隠している
ことがありうるからです。


人を裁くのは賢さではない。
主体的に物事に取り組んで、
積極姿勢で生きていなければ、
悪い所ばかり気にしてしまう。


悪口を言うのは簡単なこと、
自分だけの目線でものを見て
勝手に判断すればいいから。
でも大抵、誤認逮捕に終わる。


人を裁くお前は何者なのか?
どれほど相手に気遣いながら
何を理解しているというのか?
感情や理屈に振り回されるのか?






傲慢で、強情な、頑固さは、
適切な対応や判断が出来ず、
人を間違った暗闇に導く者、
自分が見えていないからです。

信頼があることは、謙遜です。
神は、謙遜な人には与えます。
傲慢な人からは離れ去ります。
信頼は従順でもあるからです。

従順とはどういうことでしょう。
素直で大人しく穏やかなことで、
逆らわず、言うことを聞く態度。
ただし、人間の関係は複雑です。


(・ω・)ノ






従順とは自分を神の子として
イエスのように公けに認めて、
神を父として認めることです。
それは言葉でなく、行いです。





「人間は、自由です。
人間を益々自由にするために
わたしはここに来たのです。

霊魂の面から言うならば、
まず人を罪から開放します。
曲解された人を圧迫する
宗教の鎖からも、多くの人を
解放するために来たのです。

宗教、それは、さまざまな
掟の流れの下にあるべき、
簡素ではっきりとしている、
聖なる完全な神が示した、

真実の言葉を覆い隠して
しまっているものです。」

ワルトルタの著作、
イエズスの言葉より




無礼な態度をしたり、侮辱、
罵詈雑言などをもって相手の
心を動かすということなど、
絶対に出来ないことでしょう。


勝利を得たいのなら、
反対に遭ったときも
柔和と愛を持ち続け、
根気よく続ける事です。

狭い視野で、融通の利かない、
世間知らずな臆病者相手でも、
誠意を尽くした愛の行い次第で
心を開くこともあるのですから。


風が吹き湖水は揺れる様に、
両者の思いが通じてお互いに
一致すれば、誠実さと努力は
物事を動かす力になります。


誠意を持って対応しましょう。
喜びを分かち合うことにより
成功はより大きなものになり、
幸運ももたらされるものです。

自分も相手も共に楽しみ、
利益を分かち合うのなら、
そういう所にこそ幸せな
成功はもたらされます。


☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆




人間は、人形ではない。
機械やロボットではなく、
畜生や奴隷にしてはいけない。
心を見れない人は死者と同様。



弱い人間は、人を憎みます。
弱さは依存心から来るもので、
弱いからこそ攻撃するのです。
恐いから、攻撃開始なのです。


依存心の人は受け身になります。
積極的で主体的思考は、人からも
受け入れられて頼りにされますが、
受け身は人からの信頼を逃します。

受け身は消極的な態度につながり、
人に迎合して認めてもらっても、
自分の意思がなくなってしまい、
結局は信用されない人になります。


それでも、人を裁いてなおかつ
自分が正しいと主張する人は、
何故自分がいけないのかさえも
理解出来ず、心を閉ざします。


自分がこれだけやっているからと、
自己主張にばかりとらわれてしまい
相手にも色々と状況があるなんて、
考えることすら出来ないのです。



。・゜・(ノД`)・゜・。




例えば、周りの他の人からも、
どれだけたしなめられたり、
注意、忠告、警告、指導されても
喉元過ぎれば元の木阿弥です。


自分自身の心の在り方が
変わっていない限りは、
さらに悪くなることもあり、
痛い目を経験するしかない。


愛を失ってしまえば、それは、
簡単に取り戻すことはできず、
どんなに泣き叫んだとしても、
自分を変えるしか道は無い。


この世には様々な敵対者がいる。
悪魔と呼ばれる霊的な存在とか、
天変地異など自然現象の到来等、
人間以外の場合も多くあるもの。


しかしながら一番の敵は、自分。
自分自身が新しく変わることは、
人間にはとても大変なことであり、
本当にとても大切なことなのです。



♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪