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【 風の姿を 花として 伝える 】

風姿花伝 という書物があります。

世阿弥という人が記した

【  能  】の理論書であり、

日本最古の演劇論でもあります。


世阿弥の残した著作物である21種の伝書は、その亡き父である観阿弥の教えを基にして、能の修行法やその心得、演技論や演出論、

芸能そのものの歴史、能の美学などというような世阿弥自身が会得した芸の道の視点から、自己の解釈を加えた著述になっています。

風姿花伝というのは名前だけは大変に有名で歴史の教科書にも出てきますが、それらの秘伝の教えの中にある一番最初の作品です。

本書の成立は十五世紀の初め頃で、大まかに分けて全七編で構成されています。

最初の三つの作品は応永7年、西暦1400年に執筆されました。残りの著作はその後に20年くらいかけて編集、改訂がなされていったのではないかと言われています。

「幽玄」「物真似」「花」などといったような『芸の神髄を語るための表現』が、ここにおいてはその典拠が見られます。

これらの思想は、古来の伝統における能楽論の書というだけのものなどではなく、徳や技芸の至高の妙味を、相応しい者に極め伝える秘訣であるとも表現出来ます。


☆☆☆☆☆☆

風姿花伝   現代語訳

観る人の寿命を延のばす働きを持つ
申楽【さるがく】いう芸能がある。
さて、その源が何かを調べてみれば、

ある者は、仏陀のおられたインドに
起源があると言い、またある者は、
神代の時代から我が国に伝えられて
きたものであるなどと言うけれども、

どちらにしても、時が移り変わり、
幾多の時代を経てきたものだけに、
本当の所はそれがどんな風に始り、
伝えられてきたかに関して言えば、

これは実に、いくら調べてもなお、
学びきれないものと言っても良い。


最近、誰もがもっともらしく好む
論説によると、推古天皇の時代に、
聖徳太子が秦河勝【はたのかわかつ】
に命じて、天下安全の祈願のため、

また同時に、人々の心を晴らして
楽しませるため、六十六番の遊宴

【うたげ】を行い、それを申楽と
名付けて以来、代々、この遊びを
成り立たせる仲立ちの役割として、

四季の花鳥や風月の情景を用いて
きたものをいう、ということだが、

その後、その河勝の子孫が、
営々としてこの芸を受け継ぎ、
そのことにより大和の春日神社、
近江の日吉ひえ神社の神事となり、
申楽を奉納する神職に就いたのだ。

今日になってもなお、和州・大和や、
江州・近江の申楽仲間が、両神社の
神事をさかんに執り行うのは、
そのためとされている。

だから、古きに学ぶにせよ、
新しきに価値を見いだすにせよ、
決して風流を外れ、ないがしろに
する事があってはならないのだ。

賎しい下品な言葉などを使わず、
その姿が幽玄であってはじめて、
真の達人であると言ってよい。 

この道を歩む志を持ち、
遠くの極みに達するまで
芸に精進しようとする者は、

まず第一に、能以外のことに
みだりに執着してはならない。

ただし「歌道」に関してだけは、
これは、まさに風月を折り込んで
延年の喜びをもたらす申楽の飾り
ともいうべきものであるがゆえに、

何にもまして、歌の道は
ぜひとも大いに役立てる
べきものということだ。

(つまり、それって、
歌の道ならたしなむのも
オッケーだってことなん
ですよね!*\(^o^)/*✨)


    なにはともあれ、

本書は、私が若いころから
今に至るまでに、見聞きし
学んだ稽古から覚え得たこと
などを束ねたものであり、
そのおおよそのことを、
書き記したものである。 

☆☆☆☆☆☆

世阿弥は、芸能の奥義を会得
することについて、風と花を
その例えとして引用します。

芸能を伝える者と継承する者。

それらの心は一つに通じ合い、
風を通して芸能の幽玄微妙な
奥義は、花として心に咲き誇る。

風姿花伝は、肉体の形式を
はるかに高く超越しながら、
観る人の心をも感じさせて、
精神の奥底に昇華してゆく。


宗家の父である観阿弥は、
五十二歳に他界しました。

世阿弥の年齢は二十二歳、
若き血潮を芸の道に燃やす。


☆☆☆☆☆☆


芸を極めるのは風を継ぐようなもの。
自分の中にある力を出そうとしても、
技術を言葉で伝えるのは至難の業だ。

古来より伝え遺されてきた技芸は、
心から心へと伝え受け継がれてゆく。
先人の風を心に得て、花として残す。
風姿花伝と名付けられる由縁である。


song  by   世阿弥  ZEAMI
( ´ ▽ ` )ノ✨