「恐れ」というものは本来、
どういうものなのでしょう。
恐れとは、この現実世界には、
実際には存在しないものです。
人はありもしないものに対し、
恐れを抱いてしまうからこそ、
心を騒がせ、考えも鈍くなり、
行動が制限されてしまうもの。
現実世界の中に生きる者には、
そもそもこの「恐れ」という
ありもしないものの実体は、
存在していないものなのです。
本来そこに存在しないのが、
恐れの実体だとするならば、
人は何を恐れるのだろうか。
行動さえも制約されながら。
本来あるはずのないものに、
人は騙され惑わされていて、
ありもしないもののために、
動くことさえもできません。
「恐れ」とは何でしょうか。
見えないものを見る力か?
いや、そうではなくむしろ、
見える力が見えなくなる事。
見えないはずの事について、
見えない自分であることを、
見ることが出来なくなる事。
見えると思い込めば見える。
見えるはずのない事でも、
見えると信じて見てしまう。
見えなくて当然であっても、
見えると思えば見え始める。
存在しないものが見える。
それが恐れの正体であり、
存在する現実を見ないで、
真実を見ない事から始まる。
恐れなど、何も必要はない。
この世の苦しみ悲しみなど、
全て解決する智慧と力がある。
行動する勇気。それこそが愛。
行動を制限されてしまう前に、
一歩でも前に踏み出せるなら、
恐れなどに縛られることなく、
自由になることができます。
人は愛するため生まれ、
愛されるために生まれた。
行動する勇気があれば、
恐れからも解放される。
解放された精神こそが、
人の魂を自由にさせる。
希望と信念に満たされ、
幸せと喜びを謳歌する。