人を信用するということは、
人に利用されることではない。
自分を信じているからこそ、
相手や環境を受け入れられる。
かといってなれあう必要はない。
お互いに依存しあう仲になると、
人は人としての成長が停滞して
さまたげられることがあります。
わかりやすいたとえでいえば、
男女関係ばかりに夢中になると
自分の伴侶ばかりに気を取られ
まわりがおろそかになりやすい。
異性関係だけの問題ではないが、
仲の良い気の合う仲間だけしか
興味を持たないようになるなら、
親にも子にも関心がなくなる。
本当の友達というものは、
お互いを信じて尊敬し合い、
物理的な助けだけではなく、
精神的にも助けあえる仲間。
自分ではない誰かを信じて
愛することは人の心の成長。
気持ちが分かり合えるなら、
周囲にも目が向き、手が届く。
人の真実の愛というものは、
束縛したり執着したりせず、
素直に相手の幸せを願う心。
願えば自分にも引き寄せる。
人を呪わば穴二つというが、
人を愛するという人の元には
自分にも相手にも幸せを呼び、
制限なく与えることになる。
無限の愛から全ては始まり、
人の心の奥に流れる命の源は、
無限の愛を与えることを望む。
弱肉強食ではなく共存共栄を。
互いに助け合い愛しあうなら、
人の心は幸せを拒むことなく
自然に喜びを生み出し続ける。
人を信じるとは感謝しあう心。
人は人を自然に愛して生きる。
信じ合い、許し合う愛の心も。
認識の強要ではなく自発の愛。
そこには大きな意味がある。
人は愛されるために生まれ、
人は愛するために生きている。
信じ合い許し合い助け合う心は、
お互いを生かし共存共栄する心。
誰かを信じて受け入れるとは、
決して依存や従属ではない。
自分も他人も大切に思うなら、
信じる心はそこにこそ生まれる。
(=´∀`)人(´∀`=)




