実を言うと 私の大学での専攻はロシア語だった。。。今では オーチンラショーくらいしか思い出せない
のがかなり痛いが、、、その頃は マトリューシュカのことを こけしとは言っていないくらいロシア語が少し話せ
た。(向こうの行っていることはさっぱりわからなかった。。。。)
大学2年の頃、ロシア人の教授のヒステリックさにロシア語の興味を損なわれたが、もしかしたら、
とってもかっこいいロシア人のお兄さんが優しくロシア語を教えてくれるのではないだろうかと甘い希望を
抱いて モスクワに向かった。。。
もちろん アエロフロート航空です。私が行ったのは1995年ごろ。。。。 まだ とても貧しい頃です。。
この航空会社を知ってればわかると思うけど、、、 これは遊園地? わざとやっているの?
パイロット ウォッカ飲みすぎてるんじゃないの?
と思ってしまうほど揺れました。 スッチーの人に つたない英語で 「友達と席が遠くなってしまったんですけど・・・」と言っただけなのに 「ニエット」(いいえという意味) とだけ言われ、、、 ちょっとたずねただけだったのに、、、ドス利いてて怖かった。
まあ、、、そんなこんなで モスクワに着きました。 その当時 空港へ到着したときの
なんともいえない 物騒な感じは 今でも思い出されるほどです。。。。観光客なんて誰もいませんでした。
みんな私たちをにらむように見てました。 青白いと思うくらい真っ白な肌 そして 青い瞳の奥にはなんかたくらんでいそうなそんな感じだった。。。。
社会主義国だったからか 皆が皆 似たような格好で、血が通っていないような冷たい視線だった。。
そして、、、、忘れもしない ノボテルホテルに泊まりました。
観光! 観光! と張り切ってみるが、とりあえず タクシーで 赤の広場とか レーニン墓などなど を見たんですが、、、かっこいい青い目の アンソニィーーーと叫びたくなるような 軍隊の人たちしか 目に入りませんでした!
夏だというのに さぶぅい。。。。この当時はモスクワの町は まるで活気がなかった。 電気もついてないし、
デパートの品物も並んでいない。 ものがないのだ。パンを買うのにずらっーと人が並んでいた。
体を温めようと 友達とバーに行って飲んでいると
女の子と男の子二人が 私たちに話しかけてきた。 知っている限りのロシア語と英語で
どうにか コミュニケーション取れているものの、、、つきあっている私たちも疲れて来たので、
退散しようとすると、、、やけにしつこく 話しかけてくる。。。
ホテルに戻ってびっくりしたのは、、、私の荷物荒らされていた。 すべてのお金(この時代、私は現金で旅行していた。まだビザカードを使っていなかった。)貴重品 とられていた。
友達の方は まったくとられていなかった。。。
急いで レセプションに行くと またもや 何を聞いても ニェット だった!
さてはて、困ってしまった。全く海外でお金がなくなってしまったのだ。
こんなことは、初めての経験だった。 日本の大使館に行き、母にお金を送ってもらうことにした。
そういえば、バーに行った時に、やけにしつこく どのホテルに泊まっているんだ
など聞かれた。
一人の男の子が いなくなったかと思えば、 私たちのほとんど はちゃめちゃな英語とロシア語に
笑顔で対応している様は、鑑真の忍耐と思えるほどの熱心な物であった。。。 など
疑えばきりがない。。。。 だが、私のつたないロシア語の練習相手になってくれた彼らを
疑いたくなかったので、、、日本大使館の人がいっていた。。部屋掃除の人が持っていったんだろう。
と思うことにした。
その後 ロシアにいる間中、何を話しかけられてもHETニエットと言い続けたのはいうまでもない。。。



