7/6 紙一重

テーマ:
死刑執行のニュースが飛び込んできた。出身教団は違うが他人事として通り過ぎることはできない。

・教祖の教えだから電車でテロを起こす。
・自称思慮深い奴隷の教えだから子供に暴力を振るう。
・教祖の教えで起こした殺人テロなら救済になる。
・自称思慮深い奴隷が繰り返す嘘予言は嘘ではない。

何が違う。同じだろう。
テロを起こして多くの人の人生を奪った彼らは法によって裁かれた。
子供に暴力を振るい、嘘で子供たちの人生を奪いながら裁かれもしなかったものみの塔の親たちが良心の呵責を感じているのか知りたいものだ。教団を脱退した元1世親たちは再び「宗教」に遭遇した場合、次は回収されない対策を講じているだろうか。

「1975年」や「永遠の命」だとか「地上の楽園」や「創造者の約束」とか、そんなものを妄信する前にやらなければならなかったことがあるはずだ。2世の不運は無知で愚かで暴力を好む親の元に生まれてきてしまったことだ。

存在しない神に祈り、荒唐無稽な教義を実行して誰かを傷つける。2世信者を宗教へと道連れにした親たちが入信したのが、ものみの塔か、あるいはオウムになったのかは、多分紙一重か隣近所程度の違いしかないと思っている。ものみの塔に入信した親たちの多くは今も"ワタシタチはオウムとはチガうシンのシュウキョウ"という盲信を続けている。

人生は時に辛い。将来の行く末に対する漠然とした不安。考えたくない。決めたくない。誰か代わりに決めてくれたら悩まなくて済む。だから陳腐な与太話にすがる。その浅ましさが人を宗教に走らせると私は思っている。

人生が辛いからといって、宗教にすがる選択はしない方が身のためだ。
辛いから宗教にすがるその態度が次の被害者を生む。
いや、次の被害者を生み出しているという感覚すら奪われていく。夢から覚めた時にもっとつらくなるだけだ。他者の人生を奪い取ってしまってからでは取り返しがつかないのだ。


・・・・・・・

心霊詐欺に対するジェームズ・ランディの痛烈な批判(字幕ボタンで日本語字幕表示)

某映画評論家が30秒でぶった切るところをジェームズランディは約17分かけている(笑)。ジェームズランディはカールセーガンの本にも出てくるので知っている人には今更かもしれない。(カール・セーガン科学と悪霊を語る 245頁下段他)

宗教のカモになる人とそうでない人には明確な違いがある。
宗教団体を脱退した後にやらなければならないのは、改宗でも、ましてや"真の宗教"とやらを探す旅に出て間抜けに同じ失敗を繰り返すのでもなく、懐疑精神と、まともなものの考え方を身に着けることだ。(前述したカールセーガンの著書はそのための役に立つと思う。)一度洗った足をわざわざ二度三度と汚すこともないだろう。特に、子供の人生を奪った1世信者には一生この責任が付いて回る。(もちろん2世も強制されたとはいえ染みついてしまった思考を捨てなければ同じ陥穽に嵌る。暴力と共に2世にこの罪を背負わせた1世の罪は極めて重いと言わざるを得ない。)
伊丹万作の「戦争責任者の問題」も一読願いたい(青空文庫で無料読可)。



聴衆の質問に冷徹に回答するリチャード・ドーキンス

キリスト教信者の質問とそれに応答する学者の短いやり取り。
信者がどれほど真剣に信じたところで妄想の存在が現実になることはないのだ。