野球の用語である犠牲フライ、三塁ランナーがタッチアップして生還したときにつく打者の成績(゜∇゜)

これと同じことが社会にあるのではなかろうか…( ̄∀ ̄)

社会は犠牲を求めているように最近、感じる(゜∇゜)

なにが原因でこのようなことを思ったのか分からないが…

分からないが感じる。これはいわぱ犠牲フライ。

自分の力で生還しなければいけないランナーのように…

ただ、それを犠牲と言ってしまっていいのだろうかと思う。
自力走塁が正しいと思う。(゜∇゜)

そう、社会というシステムには不完全なところがある。

だから、自力走塁を余儀なくされる。そういう意味である。( ̄∀ ̄)

つまるところ人の力が勝る。システムはただの制御盤である。

制御をされていると感じるとき犠牲になっていると感じるのだろう…

人間がロボットになった時、それは犠牲と呼ぶに相応しくなってくる。( ̄∀ ̄)
そういう意味じゃ社会は犠牲を求めているのではなかろうか…

犠牲にならない。犠牲にしない。(゜∇゜)そう思って仕事します。