本日は
プライベートなことですが
皆様にもたくさんの応援のお言葉を
いただいていましたので
書かせていただこうと思います
おひとりずつにお返事も
時間がなくてできておりませんが
すべて読んでおりました
本当にありがとうございます
手術が終わりました
19日の手術は
14時間に及びまして
私も朝7時頃から病院に着き
8時に手術室へ行くのを見送り
終わりましたのが夜10時半
生きるか死ぬかの大手術です
といわれていましたが
前日に先生からの説明があります
と待ちますが
手術が終わらないために
先生がなかなか降りて来れずに
会えたのが夜の8時すぎです
先生 明朝8時から
主人の手術控えていますので
とにかく早く帰って休んでください
と、言いたい気分。
それぐらい連日の手術で
激混みの東大病院です
さて、
手術は予定よりも
少し長く14時間かかりましたが
想定内なことばかりでしたので
一応、無事終了いたしました
夜10時過ぎになって
ICUの待合室に移動するよう言われて
そこでしばらく待っていますと
入ってください、と看護士さんに
誘導されて中に入りました
病院のICUは今までにも
友人のお見舞いなどで
入ったことはありましたが
東大のICUはものすごく広くて
ひとりずつの部屋がずらっと連なり
あの独特の様々な音が
夜の各部屋からしてきていて
全く世界が違います
その中にひとつ
明るい部屋が見えてきて
どうぞ、と通されましたら
主人が横たわっているのが見えました
まだたくさんの管や
酸素マスクもしております
痛いらしく眉間にしわも寄せています
看護士「目がさめてきています
手を握ってあげてください」
手を握りながら
「手術終わったわよ、長かったわね」
薄目を開けて少し頷いたように見えました
まだ意識もうろうとしています
私 「よく頑張ってくれたね
どうもありがとう・・・」
主人「いづみ? いま何時?」
声もまだほとんど出ませんし
途切れ途切れで喋っています
私「もう10時半すぎよ」
主人「くたびれたでしょう?
遅いからタクシーで帰りなよ」
私「・・私のことは心配しないでいいから」
眉間にしわを寄せて
痛いというので
また追加で痛み止め点滴繋いだり
熱が出てくるので
その対応をスタッフの方たちが
テキパキと準備し始めていました
「どこが痛いの?」
「体は熱い?」など私も聞いて
返事はかすれ声で聞き取れないため
顔近くで耳を傾けていましたら
「そのイヤリング・・・」
と言ったように聞こえたので
「イヤリング?どうしたの?」
「それ、とても可愛いね」
「これ綺麗でしょ」
「うん」
薄目で久々に見る実世界で
キラッと光ったのでしょうか
昔から あなたはね
私のことばかり気遣ってくれるから
病気になるんだと
帰りの夜道そんなことを
心の中で呟きました
そして 本日午後に
状態はまだ変わりませんが
ICUから元の一般病棟へ移れました
あとは回復に力を注いでいきます
祈ってくださった皆さま
応援のお言葉をくださった皆さま
本当にありがとうございました
どれだけ力になったことでしょう
心より感謝いたします
昔、父が(75歳頃)東大病院に
癌で入院していたことがあります
そのとき毎日母は通っていました
ちょうど私がダンスのフェスで
一時帰国していたときにたまたま
入院日となり同行しました
今考えたら、その偶然な日取りなど
こういうのも天の計らいだったのでしょうね
そのときに母が私に
「お父さんには、もう一度、もう一度だけ
元気な生活ができるようにしてあげたい」
(ここまでではないように願うの意)
と言ったのを覚えています
私も主人に同じように感じています
「あのひとには、もう一度
会社の第一線で活躍させてあげたい」
と心から思っています
そして主人からもお礼を言いたいです
神さまと天空の皆さんと
そしてここで応援してくださった皆さんに
心からお礼を言いたいと思います
ありがとうございました
これで ご神器の受付準備も
いよいよ はじめたいと思います
今回はとても素晴らしいのです
巳年ですからね
やはりパイソンもあります
そして格別なお宝ポーチ
伝統の鈴は必須なご神器
そしてE女史
楽しみにお待ちください
ありがとうございました