象の夢を見たことはない -242ページ目

甘えてる。そう思ったときには前田日明

「あまりに甘ったれてるなあ」と前のブログ、消してしまった。恥はさらしておこう。

飴のように引き伸ばされた時間の中で戦うのはしんどい。適当に恐怖がないと千切れてしまう。
自分で状況をつくらないとダメで、若いうちは与えられているから恵まれてるっていうことを思えば。。
大きな年してうんうん唸ったり愚痴言ってたら、ダメだしされてもしょうがないってとこか。

人間、特に男のコの場合はどういう場所で生活しているかが一番大事でね。なんだかんだ言っても、オランダの選手だとかロシアの選手にもまれているうちに、始めのうちは恐い思いして、で、次に死に物狂いでやってるうちに、普通になって。普通というのは世間一般で言われている高いレベルで、そのあと勝ちあがっていったら、一流で…一流の中で一番だったら超一流だよ。

人間というのは状況によって研がれるから、状況をつくらないと駄目ですよ。そうでなければ若手も育たないですよね。
by 前田日明

$ニャンちゅうなブログ-あにき
付箋紙貼りまくり。

もう当時の兄さんの年を過ぎちまったよ。若手に状況を作ってやる年齢ではあるのだが、逃げたからね。ダメダメだな。逃げたらそこで成長は止まったままになるね。そういうのはあたりまえのことだけどわからなかったりする。

ある場所へ

20代のときに海外へ一人で旅行したときに、ホテルの部屋に入って「じゃあ、何しよう?」と。何でもできる自分に逆に「なにしたらええんか?」と戸惑うこと。あるいは、見も知らん言葉の通じん空港へ一人で夜に着いて迎える人もいないときに、「さて、どーしたもんかな?」と。
たかだか、7日くらいの旅行でそんなことを想うってのは、なんて子供だったんだろうと思わないでもないのだが、そのときの自分の情けなさっていうのが原体験としてある。

チャイナパワー「第2回 巨龍 アフリカを駆ける」ってのを見ていて、「あかん、頑張らな」と。

エチオピアで携帯用の鉄塔を立てまくる中国企業ZTE。現地にはりついて月給12万で作業する中国の大卒エリート技術者。インフラはない。水道はでない。疲れて帰ってきても、冷たいバケツの水で頭を洗う。洗濯の水も自由に使えない。そんな環境でも応募するものが絶えない。病気なんてどうしてんだろう?ほとんどがそういう田舎へ放り込まれる。
1000人でエチオピア全土の携帯網を敷設する。

パンドラTVは、ここ

ほんま、ぬるま湯な日本と思う。ぬるま湯な自分。そう思うのだが、結局金をかっさらってくのは国家上層部だったり銀行だったり。金融、情報そういうのを握ってるヤツが勝つ。てきとーにやってぬるく生きる。ぬるま湯で十分。ぬるま湯万歳。。

ある日、中国国慶節の建国式典の衛星テレビ中継を観ようと現地で陣頭指揮を執る副社長が現地本部で共に働く社員に呼びかけた。国家斉唱で立ち上がる。中国のために。中国の発展のために。そう思わなければこんな苦労は報われない。欺瞞なのか、どうなのか。
あるいは、いずれ帰る本社へと想いは飛ぶ。帰れるかどうかなどわからない。また、アフリカの違う国へと行かされる可能性も高い。しかし、自分の仕事に意味があるのかなど考えていたら即潰れる。

たとえいまそうであっても、なにかは残る。それまでの自分の価値観どころか、自分のあり方さえ変えるなにものかが必ず残る。疲れきってぼろ屑のようになってもそれが自分のためであったらあきらめもつくだろう。結局、国家だとか会社だとかはどうでもよくなる場所へ行けるかどうか。あるいはそれを含めたなにものかになれるか。そういうことなんだろうと思う。それがしたい10のことの2つめ。

だれでも欠点があるままで生まれて、あるいはそこからさらに下げられて、とはいえはじめから下駄はいてるやつもいればそうでないのもいて。それぞれがいろんな場面で最低だった自分、その場所からどこまで遠くへ行ったかの差で人の価値って決まるんとちゃうん?と。そういう欺瞞はずっと持っていたいなあ。今なんとかせねばなるまいて。

しかし、あと15年したら世界の枠組みは確実に変わるのかもしれない。祭りじゃ祭

今日の料理

たまごかけごはーんアップ


…「俺が料理するから。。」って言いそう。絶対言う。ってか納豆まぜる時点で言ってるな、かなりの確率で。。

おまけ
スプーのえかきうた事件

おねえさん…。よかったって。。いやいや、もいもしもしもし。
NHKはやめられない。来年の受信料も払ったぜ。

空蝉

みずからの殻を初めて見た蝉は何を思うのか。

アンドレ・ブルトン。『ナジャ』が示すものは、いったいなんだろうと。
そんなことは意識の端では考えてもいたらしいが、さして自分の中で重要な意味を持っていなかった。

ナジャ (岩波文庫)/アンドレ・ブルトン


「私は誰か?」。そういう書き出しで始まるこの物語を読もうとする読者にとって、シュールレアリズムというレッテルは邪魔なだけである。もしくは、最後に必要とされる抜け殻としてのなにかでしかない。それは、あたかもブルトンの詩にある女モノの手袋。手が入っていた革。それ以上でも以下でもない。

ナジャとは、そういう女なのである。

男であれば誰しもそういう女に必ず出会う。のだろうか?
不思議なことにそれはみずからのそれまでの全存在の否定というかたちでしか立ち現われえない。
したがって、そこを潜り抜けたときにしか、それまでの自らを見ることが出来ない。あまりにも象徴的な存在であるので、恋愛感情を抱こうが一瞬のうちに叩き潰される。あるいは、一瞬その気持ちを止揚させられるが、奈落まで落とされる。ユングの言うアニマなのかどうなのか。そんなことなどわかるはずもなく。ただ、くぐりぬけたときには、自分はまったく別のなにものかになっている。

小林秀雄が、畑のキャベツの上の朝露を眺めていて、「ああ、もう、いい」と言って逃げ出した女がいると。それがお咲さんという女性なのだが、逃げ出したと言ったのは白洲正子の評であって、それは小林からすればまったく違うかもしれない。男にしか見えないなにものかは必ずどこかにあるし、それを一人の女としては見たくない。そういうものが世の中にあってもおかしくはない。

お咲さんというのは、小林と一緒にいるときだけ気がくるってしまう、そういう女性である。ナジャはこの本を読めばわかるとおりの人物。それまでのそれぞれの男どもが持っていた世界観からの逸脱を導くエキセントリックな女たち。近づきすぎると自分が壊れるので、最終的に逃げざるを得ない。そういう視点で白洲正子は全く正しい。

自分はその人から、ものの見方を教わった。今はそんなふうに理解している。

美は痙攣的なものであるにちがいない。さもなくば存在しないであろう」というのがこのナジャという物語のしめくくりの言葉。なのだが、たぶんそれがナジャからブルトンが得たものの見方だろう。少し綺麗にまとめすぎているなんて気もしないでもないけれど。

       夜の街       夜の街       夜の街  
   
小林秀雄の「信ずることと知ること」を読みなおしている。『考えるヒント3』の中に収録されている評論の一つで、たかだか22ページ程度の小論なのだが、この本はこれだけで十分であってそれ以外は自分にはいらない。

「私は誰か?」ということはかんがえたことなぞないが、「何のために生きるのか?」ということにはつねにぶつかる。子供っぽいのだが。そういうときに読みなおす。そのときにものの見方を得ることになったその人を思い出す。自らの象徴であって大事には思うが、自分にとっては蝉の抜け殻と同じで、ブルトンの女モノの手袋に対するようなフェティッシュな気持ちはもうない。ただ、ダリにとってのガラではあるのか?まあそれは良しとして…。

「信ずることと知ること」。「柳田国男の著書から現代人が読み落としている盲点をするどく突く」なんて書評にあるが、まあ言えばその通りだけれども、うまくまとめるとものごとの本質は逃げるのは『ナジャ』の締めの言葉と似ている?

この小論はユリ・ゲラーの話から始まる。事実を知っているわれわれからすれば、その一文は致命的といえるアキレス腱なのだが、アキレス腱を持つが故に逆にあとあと惹きつけられることになる。それは若冲の『動植綵絵』にある「老い」がその絵に生命力をもたらしているのと似ている。
。。やはり、まとめようとすると本質はすり抜けてしまう。やめよう。小林秀雄もそれを畏れて、遠野物語からこの小論に物語をまるまるひきうつしていたりする。

興味のあるかたへ。
考えるヒント 3 (文春文庫 107-3)/小林 秀雄

¥520
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『Soldier Of Love』

$ニャンちゅうなブログ-SOLDIER OF LOVE

『Soldier Of Love』は2010年2月8日にリリース。日本盤は3月3日発売でボーナストラックあり。

じつに10年ぶりのリリースらしく。
『Lovers Rock』が彼女が40歳のときだから、もう…。『Love Delux』が1992年か。そんときは4年待った甲斐はあったのだが、『Lovers Rock』はちょっとね。。さすがに今回も期待できないかもと期待感下げ目で待ってよう。

考えてみれば15年以上、車のカーステに入れっぱたが、最近はカーラジオのほうが多くなった。
『Lovers Rock』も女の人には受け入れられてたようだし。「いまさら派手になられてもね。」というのはわかるのだが。。老兵な感じで渋めになるとしたら、それはそれで女の人の共感は呼ぶのかも知れない。