象の夢を見たことはない -239ページ目

獰猛でない異物

感情を制御する力っていったい何だろう。
理性で制御できない野獣を誰もがココロの中に飼っている。

芥川賞ってなんで年二回もあるんだろうとふと疑問に思ったのだが、それはさておき…
読み物としての小説とそうでないナニモノかという定義。

読み物でない小説、文学っていうのは、書き手よりも書き手が伝えようとしているものが、こう大きいというか深いっていうか、コントロールできないもんなんですよね。コントロールできるなら一言で言えばいいわけだから、スローガンみたいにして。言えないってことは、自分では掴んではいるけれどなかなか短い言葉にはできないものなんですよ。
中上健次は「獰猛な異物」とよく言ってたけど、自分でもどうしていいかわからないような、あるなにかに対する思いだったり…


RVRでの村上龍氏の言葉なのだけれど。芥川賞の舞台裏は、なんだかんだ言いつついつも面白く見ている。

考えてみれば、そういうのを感じる音楽っていうのをこの数年どこかで求めてたんだと思う。なので、最初はパンクとかハードコアなんていう今まで聞いてこなかったものへ突撃したんだと。

それはそれでよかったのだけど「獰猛でない異物」ってのもあって。それを表現する方法もなにも言葉だけじゃなく。。歌詞に酔うのはずいぶん昔に辞めたのだが。。それじゃなにかものたりなく。

そんなときにライブハウスで板谷祐に出会ったのである。去年ライヴはいろいろ出掛けたけれどそのなかで一番衝撃的だったのがLC15。



歌詞なんてどうでもいい。たぶんこの映像だけでは伝わらないと思う。
ライブでしか、生でしか感じられない力っていうか、感情のうねりっていうか。
鳥肌というより、体に沁み込む声の浸透力というのがほんと言葉にできないんだよね。

で、ライブがあるのだが…行けない涙。いけないのだよ。。たぶん日本にいないので。
せっかく名古屋まで来てくれるのに。。

2/9(火)
名古屋今池 得三
052-733-3709
18:00/19:00
\2800/\3300+DRINK
Pコード:345-385
※NOWHEREとの2マンGIG
http://www.tokuzo.com/

しかも、ここ呑み屋さん。HUCK FINNもそうだったけど、飲みながら聞けるという至福を逃してしまうなんて。。
くくくっ…泣く
だ、誰か、オレのかわりにカ、カタキを取ってくれ。

ちなみに、新宿心音会板谷祐ちゃん、アメブロのページはここ。興味のある方は…ぜひぜひ。

がんばれ、バンクーバー 

ついこの間選考会してたとおもったら、もう出発飛行機だと。
はやっ!DASH!

オリンピックは一発勝負ビックリマーク
悔いがないように、バコーンドンッとぶちかまして、行け行けで、やったれやったれアップ
って感じで応援したい。

今回のオリンピックは女子スピードスケート長距離注目で。
がんばれ、いっしー。リンク先はアメブロ。まったく明るいコである。距離が長いと最初から飛ばすのはほんと怖い。でも若いうちしかできないことってあるので、飛ばしてねばって違う扉を開けるぐらいな感じでいっちゃって欲しいなあと祈るのであるsao☆

  星空    星空    星空   

シドニー五輪のときに前日に緊張で寝られなかった中村真衣選手。トレーナーに、「だいじょうぶ。頭がおきていても、体を横にしていれば体の休息はキチンととれている」とアドバイスされ、結果後半でネバリをみせて銀メダル。

4年に一回のオリンピック。そういう「人生、ここ一番」のときに助けられた言葉を夏季・冬季オリンピック選手の中で共有できたらなあと。『Number』あたりでそんな特集をしてくれないのかなあ。どっか探せばあるんだろうか?仕事でここ一番っていう場面にぶちあたる一般読者も参考になるのにねえ。

『ユーコン漂流』 野田知佑

野田知佑の『ユーコン漂流』。

ユーコン漂流 (文春文庫)/野田 知佑

¥500
Amazon.co.jp

この本の中で、最後のほうにアラスカ仁義という文章があって、ユーコンを下ってきた著者が最終目的地近くで日本のサケの加工工場へお呼ばれしようと訪れる場面がある。

二人とも空腹だった。これから食事の支度をするのはしんどい。しめしめ、今日は日本の食事が食えるぞ。汚れたゴム長のまま、教えてもらった建物に行き、部屋のドアをノックした。出てきた若い日本人にいった。
「こんにちは。川をカヌーで下っている者です。」
青年は少し開けたドアから顔だけ出して「それがどうした」という表情をして黙っている。室内に五、六人の日本人の顔が見える。
「まあ、まあ、入ってお茶でもどうぞ」という対応を期待していたのだが、これでは困る。
今ではぼくはこの日本人たちの気持ちが理解できる。海外に短期間働きに来る日本人によくあることだが、彼らは外地にとけこめず、自分の殻を堅く締め、その中にこもっていたのである。


別に外地にとけこめていないわけではない。現地に現地人の友達はいる。あつかましさが鼻もちならなかっただけだと思う。そういう感じは臭いのですぐ匂う。それだけの話だ。沢木耕太郎にせよ野田知佑にせよ、自分たちより一回り上の漂流者たちの放つこういう匂いにはときどきうんざりすることがある。

自分もそうだったし、自分の知人でもそうなのだが、海外に住んでいる日本人からみれば、その国を訪れる友人以外の同性の日本人にはあまり好意的にはなれない。なんだか甘っちょろく感じてしまうからだと思う。その国で何度か裏切られてそれでも助けられてそこではじめてその国が見えてくる。旅人にはわかるまいという矜持もあったりするのである。

「助けて光線」を出している人には手を差し伸べるのはいとはないが、旅の恥はかき捨て的な尊大な態度が匂う人には近寄ることは自分はしなかった。上の世代には特に。基本、年上には評価が辛くて年下には甘いからかもしれない。

とはいえ、本は面白かった。うらやましい。
なによりアラスカでクマに食べられて死ぬほうが、ボルネオのジャングルで毒蛇に噛まれて死ぬより詩情があってよいなあと。それはひとそれぞれかあへへ

ただ残念なのは、彼の体験記では書かれることのないだろう話があって、それはある状況にならないと聞けない。骨太の文章というのはそういうもんだ。たぶん酔っぱらった野田氏が話される話のほうが数十倍面白いはずで、それは野田氏と友達である人の至福だろうとそんなふうに思う。

『めくらやなぎと眠る女』

たとえば、

目を覚ましてしばらくすると、「オズの魔法使い」にでてくる竜巻のように巨大な空腹感が襲いかかってきた。

オズの魔法使いを見ていないのでそれがどのような竜巻なのかはわからない。スノッブなニュアンスと的を得ない比喩というのに嫌気がさす人も多いが、ピントがぼけた比喩とそうでないものの対比でモノがはっきり見えるということもある。(とはいえ、『パン屋再襲撃』は結構好きなのだが。。)

$ニャンちゅうなブログ-めくら柳と

なんていうことを『めくらやなぎと眠る女』のパッケージングを眺めながら思った。
半透明のプラスチックなのかビニールだかのカバーが浮くと本の表紙の字と絵がぼやける。

ずいぶん昔、名古屋市美術館でエゴン・シーレの展覧会*1があった。美術館は気が向いたときに行くがそれは特定の作家を見たいからではなく、どうやら空気に浮かぶほこりが光の中に舞っているのがみたくなったときに行くらしいというのに今気付いた。それなら図書館でもよいと思うのだが…

で、エゴン・シーレ展、そこである水彩のデッサンを見た。
それは習作っぽくて、なにも描かれてない白いキャンバスが絵の大部分だったような記憶がある。ある一人の男の肖像だった。黒い夜会の服だったかを着ていた。そこに描かれたひとつの線に戦慄した記憶がある。

油絵もあったが、印象に残ったのはそれだけであとは覚えていない。
「この人水彩のほうがいい」と感じた。油絵よりも水彩やデッサンのほうがその人の天才性というのはわかりやすいのかもしれない。

っていうのを、この本に収められた『七番目の男』を読んで思い出した。
Kという少年が出てくる。

やせて色白でまるで女のコのようなきれいな顔立ちをしていました。しかし言葉に障害があって、うまく口を聞くことができませんでした。…。でも、絵が滅法巧く、鉛筆と絵具を持たせると先生も舌を巻くような、見事な生命力にあふれた絵を描きました。…。私はよくそのとなりに座って、彼の筆の素早い的確な動きを眺めていたものでした。どうやったらそんなに生き生きとしたかたちや色彩を、真っ白な空白の上に一瞬のうちに生みだすことができるのだろうと、私は深く感心し、また驚いていたものです。今にして思えば、それが純粋な才能というものだったのでしょう。

自分にとってピンボケな比喩と、自分にとって戦慄的なこんな表現。その対比や落差をたまに心地よく思う。

正直そんなこともどうでもよくて、村上春樹の短編を冬に読みたくなるのは、空気に浮かぶほこりが光の中に舞っているのがみたいだけなのかもしれない。あるいは、ビールを飲みたいと思いたいとか。それが夏に村上春樹を読みたくなる理由だったり。やはり短編のほうが好きだ。『象の消滅』とこの本は、それぞれ13OO円と1400円。お買い得だよね。

*1 調べたら1992年1月11日~2月23日のエゴン・シーレ展。内容は、「シーレの世界的コレクター、ルドルフ・レオポルド博士のコレクション120点によって、夭世の画家の全貌を紹介」というものだった。小春日和のある冬の日。

後記:
ところでなぜ、「7番目」の男なのか。春樹氏ときどきそんな謎かけをするので気が抜けない。ちなみにアドルフ・ヒトラーは自称ドイツ労働者党7番目の党員だそうで、ヒトラーが絵をやっていたのは有名な話。エゴン・シーレは16才という若さで才能を認められ、美術アカデミーへ進学し、同年に1年早く生まれたアドルフ・ヒットラーは美術アカデミーの入学を拒否されたとか。
で、この『七番目の男』、ミソは、Kの表情の『歪み』だったりする。あまりに穿ちすぎかもしれないが、もしかして…。
松岡正剛氏が千夜千冊で書かれていたように、エゴン・シーレのデッサンや筆による画線は驚くほど速いものだと私も思う。夭折というのもヤバいキーワードだなあ。無名であることとかくちひげとか。Kと7番目の男が一才違いというのにもムムッなのである。

コンビーフの罠

そういえばコンビーフというシロモノに出会ったのは小学5年生のときのことだったか。

なんてことをしヲんを読んで思い出した。

「これは、いったいなんのためにある食べ物なのか?」
その思い入れだけで、スーパーでそれだけを買った。キャンプの前日。
すくなくとも、なにかキャンプに関係があるとは思ったらしい。
だがいかんせん食べ方がわからない。
好奇心に負けて、その夕方にあのキリキリってやつを巻いて開けた。
なんのことはない、キリキリがしたかったのである。

で、手元に現れた繊維質っぽい肉塊。
ケツしか開けてないのでむき出しのカンの切り口が暴力的だった。で、どうすんだコレ?
スーパーでコンビーフを見るとその記憶が…。いまだに何に使うのかわからない。マヨネーズとしょうゆで和えて食パンに挟んで食う。それしか知らない。20年も生きて来たのにね音譜
薬師丸ひろ子の歌が聞こえてきそうである。。サバを読みました。

しかし、スズキのレンタカーをムネオ号というセンスは粋としかいいようがないしヲん。ところでオバケのQ太郎に出てくるアメリカンなオバケの名前はやっと思い出せたが、たしかオバQに妹っぽいのがいたのだが、なんだかおもいだそうとすると、

$ニャンちゅうなブログ-TOIROCYANN

テレビ愛知のキャラクターが浮かんでしまう。考えてみればこいつもなんだかよくわからない。
年末、名古屋駅前のクリスマスイルミネーションのところになにげに飾られていたのだが…なぜ?
名古屋、いまだにやはりよくわからない。